大きな理由の一つは、細胞内のようすを顕微鏡で観察すると、タンパク質やRNA などが流れているようすが見え、それが非常におもしろかったからです。私は、東京大学教養学部で3年まで物理学と数学を、4 年の卒業研究で分子生物学を学びました。木村先生とは同じ北海道札幌南高校を卒業したという縁もあり、大学時代の講義で木村先生の存在を知り、大学院生と して「研究する力」を身につけたいと思い、2007年4月に総合研究大学院大学の大学院生として遺伝研に来ました。
遺伝研でのはじめの3 か月は、研究テーマの選定に費やしました。そして、運び屋のモータータンパクにつれられて移動するという能動的なメカニズムに注目が集まっていた細胞内の 物質輸送について、「細胞質の全体的なの流動」という観点からの説明も重要ではないかと思い至り、解析してみることにしたのです。
細胞内 には決まった位置にないと困るタンパク質やRNA もあり、それらはモータータンパクで運ばれ、特定のタンパク質によってしっかりと固定されています。一方で、細胞内を漂うタンパク質やRNA なども多くあり、こちらは細胞内の流れに何らかの影響を受けているだろうと思われます。後者については、流体力学で説明できるのではないかと漠然と考えら れていましたが、きちんとした解析や説明はあまりなされていませんでした。
水などの液体がゆるやかに流れている、といえばわかるでしょうか。私たちが今回観察したのは、受精後数分の線虫( C. elegans ) です。この段階の細胞では、細胞の縁(表層)にのみ存在するミオシンというモータータンパクが縁付近で一方向の流れをおこし、より内部には「縁とは逆方向 の流れ」がみられます。これまで、内部の流れについて、「風呂で縁の湯を一方向にかくと、内部では逆の流れが生じるのと同じ原理なのではないか」と理解さ れてきましたが、本当にそうなのか。細胞内はタンパク質などの分子が濃縮されており、繊維状の物質も多く存在します。シンプルな流体の物理法則が成り立つ 液体として扱ってよいのかは、全くわかりませんでした。そこで、実際にどのような流れなのかを、きちんと調べようと思ったのです。
細胞が非対称分裂をするためではないかと考えています。多細胞生物は、受精卵というたった1 つの細胞が、分裂と分化を繰りかえすことで形作られます。そのためには、1 つの細胞が、異なる性質をもつ2 つの細胞に分かれなくてはなりません。それが「非対称分裂」で、骨髄幹細胞などでもみられます。このような非対称分裂には、「細胞内のある特定部位の周辺 に、特定の遺伝子産物やRNA(リボ核酸)が存在する」といった物質の偏り(極性)が必要です。もし、細胞内であらゆる物質が均一にあるとすれば、細胞が 分裂しても「2 つの全く同一な細胞」にしかなりませんので。
細胞質に極性をもたらすしくみはいくつかありますが、「細胞質の全体的な流動」もその一つなのでしょう。線虫は、受精の直後から非対称分裂をして分化をはじめるので、「細胞質の全体的な流動」を、最初の非対称分裂のための極性として利用しているのではないかと思います。
まず、受精直後の細胞内部の流れを顕微鏡で観察し、そのデータを大阪大学の篠原恭介博士による画像解析プログラム(PIV)を用いて詳しく解析しました。そ の結果、「確かに、縁で一方向に、内部でその逆の流れがおきている様子」と、「内部の流れははじめ遅く、細胞の中心付近まで到達すると加速する様子」を数 値として精度よく測定することができました。次に、細胞や血管などの「ぐにゃっと変形する」構造内での流れも解析できる手法(MPS)を用いて、縁で一方 向の流れを作った場合に内部でどのような流れが生じるかを、コンピューター上でシミュレーションしました。その結果、シミュレーションで得た値は、実験で 得られた流れとほぼ同じでした。
一方で、RNAi を用いてミオシン遺伝子の発現を抑制すると、縁の流れとともに内部の流れもなくなることを確かめました。細胞内部の流れの原動力がミオシンによる流れにあることも、直接確認しながら研究をすすめたことになります。
そうです。何となく「流体の原理」があてはめられてきた流れを、流体力学によるシミュレーションで、はじめて明確に説明できました今回の解析は、線虫以外の 細胞内での流れを研究する際の基盤概念としても利用できます。また、細胞ではなく、血管内やリンパ管内での流れを検討する際にも使えると期待しています。
実験生物学とIT を組み合わせた生物学研究を行うことです。今は、今回の手法をさらに洗練させ、血流や発生中の生物にみられる細胞の流れの解析に使えないかといったことを 考えています。生物学と工学を融合することで、特定の細胞に、何らかの有用物質、たとえばバイオエタノールなどを産生させる研究にも興味があります。
私の研究室では、学生のみなさんに、自分の興味に従って研究してもらっています。私自身がそのようにして研究を続けてきたからです。庭山君は物理や数学と生物を結びつけた研究をしたいと考えて遺伝研(総研大)にきたので、可能な限りサポートしたいと考えています。
今回は、受精直後の細胞内の流れが、どのような非対称分裂、細胞分化に寄与するのかという点については検討せず、もっぱら実測とシミュレーションに徹したか たちです。物理学にヒントを得た生物学研究はすでにいろいろありますが、今回のようにMPS の手法を細胞に適応した点は斬新で、大きな評価ポイントになったと考えています。また、細胞質の流れの研究に流体力学が使えると示したことで、今後さまざ まな研究に適応できる基盤を構築したといえ、今後の波及効果があるのではないかと思っています。庭山君には、自分の夢の実現を果たせるよう、さらなるがん ばりを期待しています。
(文: サイエンスライター・西村尚子 / 2011.07.06 掲載)
掲載論文
Ritsuya Niwayama, Kyosuke Shinohara, Akatsuki Kimura.
Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (PNAS), 108 (27), 2011. DOI: 10.1073/pnas.1101853108