令和6年12月1日から国立遺伝学研究所の所長として勤務することになった。いろいろとあいさつ回りをしなければならず、その時に、専門外の人からよく尋ねられるのが、「遺伝学とはどんな学問ですか?」という質問である。特に、役所関係の人からは、「岡崎の基礎生物学研究所とは、何が違うのですか?」とか聞かれる。むむ?なんと答えようか。結構、悩ましい。通常、学問分野の名称は、その研究対象を表しているはずである。となると、遺伝学は「遺伝現象」を研究していることになり、おそらく、一般の人は「遺伝という生物に特有な現象が起きる原理」を研究していると受け取るはずである。だが、この定義が意味するところは、かなり広い、というか広すぎるのである。遺伝現象の基本は、減数分裂と受精により、遺伝子の組み合わせが変化することである。だが、それが表現型に現れる過程で、ありとあらゆる分子機構が介入し、それは、ほぼすべての生命現象を含んでしまう。そうなると、遺伝学=生物学(生命科学)となってしまい、実際、現在の遺伝研のメンバーを見れば、そのような定義が共通理解となっていることが明らかだ。だが、遺伝研の所長としては、それでは困る。遺伝研の存在を世間に主張するには、それにふさわしいキーワードが必要である。何とかしなければ・・・・
そこで、やや苦し紛れではあるが、遺伝学の創始者?であるメンデルの研究に思いを馳せてみることにした。メンデルは、それまで博物学でしかなかった生物に関する研究を「見えない原理を実験から推理する科学」に変えた先駆者であり、彼の業績は、少なくとも私の価値観の中では、生命科学における史上最高である。その研究論文である“Versuche über Pflanzen-Hybriden”(植物雑種に関する実験)は、その日本語訳も容易に手に入るので、皆さんも、是非、読んで味わってみることをお勧めしたい。
メンデルの伝記や論文を読むと、彼が、生物学の分野においてアウトローであったことが良くわかる。オーストリアの大学で2年間(1841~1843)学んだ後に、ブリュンの修道院で、司祭をする傍ら、勉学を続けた。(当時の修道院は教育・研究の場でもあった)。たまには教壇にも立ったが、教えた科目はギリシア語と数学である。さらに、ウイーン大学に留学した経験もあるが、その時は、ドップラー効果で有名なドップラーから、物理学と数学を学んでいる。要するに、生物学の専門家ではないのである。おそらく、メンデルの研究の成功の要因の一つが、彼が生物学においては「素人であった」事ではないだろうか。常に生物の複雑さ、精妙さに触れている(当時の)生物学者にとっては、遺伝の仕組みがこれほど(遺伝3法則で表されるほど)単純であり、簡単な実験から証明できるなんて、想像もつかなかったであろうから。メンデルは、理想的な物体の挙動から現象を説明するという、物理の考え方を持ち込んだのである。その推論の仮定も、とても単純でわかりやすい。
仮に、何らかの遺伝的な形質を決める因子が体(細胞)に存在するとする。それが、液体の様に、混ざったり分割できたりするもの(混合説)なのか、あるいは、不可分かつ融合もしない粒子の様な性質を持つ(粒子説)のか、当時も、一部の研究者の間では議論になっていた。メンデルは思考実験をする。異なる性質を持つ両親の間にできる子供にとって、遺伝物質はどうなるか。もし、混合説を取ると、遺伝物質は混ざり合い、中間の性質を持った遺伝因子になる。そうすると、子の形質は、常に、両親の中間でなければならない。だが、実際には、そうならないことが多い。多くの形質は、両親のどちらかのものになる(顕性(優性)、潜性(劣性))ことが多く、さらに隔世遺伝と言って、雑種1代目で消えた形質が、2代目に再出現することもある。これは、混合説では、どうしても説明できない。一方、粒子説を採用し、子は、両親から一つずつの遺伝因子(遺伝子)を受け継ぐと仮定すれば(分離の法則)、全てが矛盾なく説明できる。この推論自体はそれほど難しくないので、おそらく、メンデル以外にも思いついた人はいただろう。だが、それを証明するために、恐ろしく時間のかかる実験をする必要がある。メンデル以外にそれをやる人がいなかったのは、「生命は人知を超えて精妙なもの」という「常識」が邪魔をしたからだろう。それを乗り越えて、自分の仮説を信じ続け、無尽蔵の根性(おそらく)で実験をやり続けたメンデルだけが、最終的に答えに到達できたのである。本当に、見事と称賛するしかない。研究者の理想的な姿ではないだろうか。
で、何が言いたいかというと、私としては、遺伝研における研究は、「メンデルのガッツを持って、自分の仮説を信じ、自然界に潜む謎を探求する研究」であってほしいと思っているのである。なんじゃそら?と思われるかもしれないが、これは結構重要なことだ。インターネットにより、学術関係の情報は即座に手に入るようになったが、論文の数は莫大で、到底、関係論文をすべて読むことは不可能である。そこで、情報の選別がIF(インパクトファクター)によって行われるが、それは、「重要なこと=皆が常識として感じていること」となり、マジョリティの価値観に流されやすくなる。だが、研究におけるブレークスルーは、平均的な考え方からは離れた、その人オリジナルの価値観、仮説からしか出てこない。だから、独自の研究を立ち上げるには、どこかで必ず、分野の常識から離れたテーマにチャレンジする必要があり、そのためには、メンデル的な勇気と信念が必要なのだ。
というわけで、かなりこじつけっぽい気もするが、次に「遺伝研の研究とは?」と聞かれたら、上記の様に答えることにしたいので、よろしくお願い(何に)?します。m(__)m
このあいさつ文は、定期的(3か月に1度くらい)書き替えるので、よろしければ、またお立ち寄りください。
国立遺伝学研究所長 近藤 滋
令和6年12月1日から国立遺伝学研究所の所長として勤務することになった。いろいろとあいさつ回りをしなければならず、その時に、専門外の人からよく尋ねられるのが、「遺伝学とはどんな学問ですか?」という質問である。特に、役所関係の人からは、「岡崎の基礎生物学研究所とは、何が違うのですか?」とか聞かれる。むむ?なんと答えようか。結構、悩ましい。通常、学問分野の名称は、その研究対象を表しているはずである。となると、遺伝学は「遺伝現象」を研究していることになり、おそらく、一般の人は「遺伝という生物に特有な現象が起きる原理」を研究していると受け取るはずである。だが、この定義が意味するところは、かなり広い、というか広すぎるのである。遺伝現象の基本は、減数分裂と受精により、遺伝子の組み合わせが変化することである。だが、それが表現型に現れる過程で、ありとあらゆる分子機構が介入し、それは、ほぼすべての生命現象を含んでしまう。そうなると、遺伝学=生物学(生命科学)となってしまい、実際、現在の遺伝研のメンバーを見れば、そのような定義が共通理解となっていることが明らかだ。だが、遺伝研の所長としては、それでは困る。遺伝研の存在を世間に主張するには、それにふさわしいキーワードが必要である。何とかしなければ・・・・
そこで、やや苦し紛れではあるが、遺伝学の創始者?であるメンデルの研究に思いを馳せてみることにした。メンデルは、それまで博物学でしかなかった生物に関する研究を「見えない原理を実験から推理する科学」に変えた先駆者であり、彼の業績は、少なくとも私の価値観の中では、生命科学における史上最高である。その研究論文である“Versuche über Pflanzen-Hybriden”(植物雑種に関する実験)は、その日本語訳も容易に手に入るので、皆さんも、是非、読んで味わってみることをお勧めしたい。
メンデルの伝記や論文を読むと、彼が、生物学の分野においてアウトローであったことが良くわかる。オーストリアの大学で2年間(1841~1843)学んだ後に、ブリュンの修道院で、司祭をする傍ら、勉学を続けた。(当時の修道院は教育・研究の場でもあった)。たまには教壇にも立ったが、教えた科目はギリシア語と数学である。さらに、ウイーン大学に留学した経験もあるが、その時は、ドップラー効果で有名なドップラーから、物理学と数学を学んでいる。要するに、生物学の専門家ではないのである。おそらく、メンデルの研究の成功の要因の一つが、彼が生物学においては「素人であった」事ではないだろうか。常に生物の複雑さ、精妙さに触れている(当時の)生物学者にとっては、遺伝の仕組みがこれほど(遺伝3法則で表されるほど)単純であり、簡単な実験から証明できるなんて、想像もつかなかったであろうから。メンデルは、理想的な物体の挙動から現象を説明するという、物理の考え方を持ち込んだのである。その推論の仮定も、とても単純でわかりやすい。
仮に、何らかの遺伝的な形質を決める因子が体(細胞)に存在するとする。それが、液体の様に、混ざったり分割できたりするもの(混合説)なのか、あるいは、不可分かつ融合もしない粒子の様な性質を持つ(粒子説)のか、当時も、一部の研究者の間では議論になっていた。メンデルは思考実験をする。異なる性質を持つ両親の間にできる子供にとって、遺伝物質はどうなるか。もし、混合説を取ると、遺伝物質は混ざり合い、中間の性質を持った遺伝因子になる。そうすると、子の形質は、常に、両親の中間でなければならない。だが、実際には、そうならないことが多い。多くの形質は、両親のどちらかのものになる(顕性(優性)、潜性(劣性))ことが多く、さらに隔世遺伝と言って、雑種1代目で消えた形質が、2代目に再出現することもある。これは、混合説では、どうしても説明できない。一方、粒子説を採用し、子は、両親から一つずつの遺伝因子(遺伝子)を受け継ぐと仮定すれば(分離の法則)、全てが矛盾なく説明できる。この推論自体はそれほど難しくないので、おそらく、メンデル以外にも思いついた人はいただろう。だが、それを証明するために、恐ろしく時間のかかる実験をする必要がある。メンデル以外にそれをやる人がいなかったのは、「生命は人知を超えて精妙なもの」という「常識」が邪魔をしたからだろう。それを乗り越えて、自分の仮説を信じ続け、無尽蔵の根性(おそらく)で実験をやり続けたメンデルだけが、最終的に答えに到達できたのである。本当に、見事と称賛するしかない。研究者の理想的な姿ではないだろうか。
で、何が言いたいかというと、私としては、遺伝研における研究は、「メンデルのガッツを持って、自分の仮説を信じ、自然界に潜む謎を探求する研究」であってほしいと思っているのである。なんじゃそら?と思われるかもしれないが、これは結構重要なことだ。インターネットにより、学術関係の情報は即座に手に入るようになったが、論文の数は莫大で、到底、関係論文をすべて読むことは不可能である。そこで、情報の選別がIF(インパクトファクター)によって行われるが、それは、「重要なこと=皆が常識として感じていること」となり、マジョリティの価値観に流されやすくなる。だが、研究におけるブレークスルーは、平均的な考え方からは離れた、その人オリジナルの価値観、仮説からしか出てこない。だから、独自の研究を立ち上げるには、どこかで必ず、分野の常識から離れたテーマにチャレンジする必要があり、そのためには、メンデル的な勇気と信念が必要なのだ。
というわけで、かなりこじつけっぽい気もするが、次に「遺伝研の研究とは?」と聞かれたら、上記の様に答えることにしたいので、よろしくお願い(何に)?します。m(__)m
このあいさつ文は、定期的(3か月に1度くらい)書き替えるので、よろしければ、またお立ち寄りください。
国立遺伝学研究所長 近藤 滋