佐々木 裕之 教授(ささき ひろゆき)

 人類遺伝研究部門 佐々木研究室

自分の興味を大切にして歩む

「生き物は美しい、美しいものを見たい、そして見たものを伝えたい」。遺伝子が正しく働くためのプログラム「エピジェネティクス」の研究で世界をリードする佐々木教授だが、意外にも根っこは「文系の人」だという。昔から音楽を聴いたり、本を読んだり、絵を見ることが大好きだった。今でも司馬遼太郎、堺屋太一らの歴史小説から村上春樹などの現代小説まで、就寝前のわずかな時間を見つけては楽しんでいる。自分の気持ちに正直に、自然流で歩いてきた25年間の研究者人生。気張らずに、純粋にサイエンスを楽しむ佐々木教授の笑顔は魅力的だ。

研究を楽しむ感性を武器に
高校時代は理系科目よりも文系科目の方が得意だったが、医者だった父親の影響で医学部を志し、1年の浪人を経て九州大学の医学部に入った。このとき入ったワンダーフォーゲルのサークル仲間と、初めて北アルプスに登った。頂から見る雄大な景色に圧倒され、自然の美しさに魅せられた。以来、教養課程の2年間、仲間と山登りばかりしていた。
いま、佐々木教授は、生き物の内にある美しさを見つめている。生き物は、その見た目もさることながら、分子的に解析することで明らかになるシステムそのものが美しい。「今この瞬間、世界中で一体何人の人間がそのシステムの存在に気がついているのだろう」、発見のたびに科学者としての喜びを感じる。そして同時に、「見たものを表現したい」という思いがこみ上げてくる。「研究をして論文を書くことは、芸術作品、例えば絵や小説をひとつ完成させるような感覚なんです」。佐々木教授は、研究を心の底から楽しんでいる。
医学部にあった原点
佐々木教授の研究の原点は、医学部の学生時代にさかのぼる。 組織学の授業、顕微鏡を覗くと、白血球、好塩基球、好中球、いろいろな血液細胞が見えた。また肝臓の切片には、肝臓の細胞もあれば、血管の内皮細胞もあった。同じ視野の中に、形も大きさも全く異なる様々な細胞が見えた。しかしこんなにも多彩な表情を見せる細胞の一つ一つは同じゲノムDNAを遺伝情報として持っている。同じ遺伝情報なのにどうして働きが変わってくるのか。基礎的な生物学の研究をやりたいと思った。
医学部卒業後、父親の病気の都合で、1度は内科医として臨床の現場に立った。それでも1年後、診察室から研究室へ、自分の、周りからの後押しがあった。
研究の世界に飛び込んで
「まったくの偶然でした」。佐々木教授は、いまの研究との出会いを語った。九州大学の大学院に入りなおした佐々木教授は、指導教授のもとを離れ、東京の三菱化成 生命科学研究所(現三菱化学生命科学研究所)でネズミにヒトの遺伝子を導入する実験を行っていた。患者から採った病気の原因遺伝子をネズミに入れてやれば、病気のモデル動物ができるのではないか。実験は1年近くに及んだ。
結局、目的にした病気のモデル動物はできなかった。しかし、導入した遺伝子の働き方に不思議な規則性があることに気がついた。導入した遺伝子が父親から来るか、母親から来るか、この違いで遺伝子の働き方が全く違っていた。目の前で起きている不思議な現象に心が躍った。「これを研究したい」以来、20年来の研究テーマになった。
大学院で研究を始めた当初、与えられたテーマは期待していたような基礎研究ではなかった。それでももらった研究テーマをつづける中で、自分が夢中になれる研究と出会った。
「自分を知ると一番いい方向が自然に見えてくるし、活躍の場が見えてくると思う。最初は先生からもらったテーマをやったっていいと思う。自分のやっている ことを大事にしていれば、いつか見えてきますよ」。やらないことには始まらない。佐々木教授はそう言って笑った。
(文:大野 源太 株式会社リバネス 2008年インタビュー)

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