第26回 太田朋子名誉教授の「ほぼ中立説」、クラフォード賞受賞が決定

国立遺伝学研究所 名誉教授 太田朋子先生のクラフォード賞受賞が決定 「ほぼ中立説」生物の進化の理解を促す先駆的研究が認められる 国立遺伝学研究所名誉教授の太田朋子先生は、米ハーバード大学名誉教授リチャード・レウォティン博士とともに2015年のクラフォード賞を受賞することが決まりました。太田先生は、集団遺伝学の第一人者で、「分子進化のほぼ中立説」をはじめとする理論的研究で業績をあげました。日本人では3人目の受賞となります。 クラフォード賞は、人工腎臓を発明したホルガ―・クラフォードと妻のアンナ・グレタ・クラフォードによって1980年に創設されました。基礎研究の推進を目的として、ノーベル賞が扱わない天文学と数学、生物科学、地球科学の3分野、また画期的な研究成果があったときのみ関節炎の分野の優れた研究業績に対して毎年表彰しています。選考はノーベル賞と同様にスウェーデン王立科学アカデミーが行っています。太田先生は「思いがけない表彰のしらせにびっくりしました」と顔をほころばせます。

自然淘汰からほぼ中立説へ

生物の進化を解明するために、これまで数多くの研究が行われてきました。進化の基本は、親から子に伝わる遺伝子の変化です。太田先生が研究する「集団遺伝学」とは、生物の集団の中での遺伝子の割合を遺伝子型や表現型の頻度から推定することで、遺伝子が変化するしくみを探ろうというものです。 「私が研究を始めた1960年代は、ネオダーウィニズム(自然淘汰説)が盛んで、より生存に有利なものが生き残るという自然淘汰で進化を説明しようとしていました」と太田先生は当時を振り返ります。しかし、進化の仕組みは自然淘汰で説明しきれるものではありません。そこで、木村資生先生が分子生物学の発展とともに生化学データと統計学的な手法を取り入れて研究し、1968年に「分子進化の中立説」を発表しました。遺伝子の変化は有利でも不利でもない変異が広がったものとする説です。 太田先生は、木村先生の共同研究者として、分子進化の中立説の確立に大きく貢献しました。中立説ならば、複雑な生物の進化のプロセスを単純化できるのですが、一方で中立説では説明できない現象もみつかっており、太田先生は問題点を感じていました。そして、自然淘汰と中立変異の間に生存にやや不利な突然変異(弱有害変異)があれば、中立説の問題を克服できると気づいたのです。そうして1973年、生物の進化において、弱有害変異も集団に広まることがあるという「ほぼ中立説」を発表しました。

集団遺伝学の先駆者?

自然淘汰は表現型から生物の進化を説明したものですが、ほぼ中立説はゲノムから生物の進化を解明するために重要な先駆的研究でした。ところが太田先生がこの説を発表した当時は、理論を裏付けるデータが少なく、あまり支持されませんでした。「自分の説に対する確信があったので、研究を続けることが出来ました」と太田先生は話します。その後、ゲノムの時代が到来。ゲノムの網羅的解析により大量のデータが得られ、理論の検証が可能になりました。また、エピゲノムなど以前には予想もできなかった遺伝子の発現調節やゲノム構成が明らかになり、ほぼ中立説の適用範囲が広がっています。現在では、弱有害変異は複雑なゲノム進化を理解する上での中核となる考えとされ、ほぼ中立説はシステム生物学や比較ゲノム解析の研究に大きな影響を与えています。 今回の受賞は、太田先生が遺伝研で行ってきたこのような研究が、遺伝的変異や進化の理解へ貢献したことが認められたものです。授賞式は5月5〜7日にスウェーデンのストックホルムで行われます。「そろそろ授賞式のスピーチの準備を始めています。一緒に受賞するリチャード先生は出席できないとのことで残念ですが、以前お会いした多くの進化や集団生物学の研究者たちと再会し、議論するのが楽しみです」と太田先生は受賞式に向けての準備に余念がありません。授賞式で、先生はどんなお話しをされるのでしょうか。その日が待ち遠しいです。

(文: サイエンスライター・佐藤成美 / 2015)