大学の学部時代からDNAそのものに興味があり、まずはDNAの修復や組み替えメカニズムについて研究しました。大阪大学で博士号をとった後、もう少し高次 な構造について研究したいと考えて1999年よりスイス・ジュネーブ大学のレムリー教授の研究室に留学しました。そこで研究対象が細胞核や染色体の構造に なりました。帰国後、理化学研究所を経て2009年から遺伝研に赴任し、一貫してDNAの収納のされ方などの解析を続けています。
高校や大学で使われる生物学の教科書の多くは、冒頭の方で、DNAの細い糸が「ヒストン」というタンパク質に巻かれて「ヌクレオソーム」となり、このヌクレオソーム線維が規則正しく束ねられて「クロマチン線維」やさらなる階層構造(積み木構造)をかたちづくる様子を図解しています。このモデルは1970年代 後半に提唱されたもので、異を唱える研究者はほとんどいませんでした。というのは、DNAが規則正しく折り畳まれ、それが階層をもってきちんと束ねられて いるからこそ、全長2メートルにおよぶヒトのDNAが、切れたり絡まったりせずに細胞の中に収められていると考えられてきたからです。
実際、電子顕微鏡によって、DNAや直径10ナノメートルのヌクレオソーム線維、さらにはクロマチン線維の存在を示す「直径30ナノメートルの構造」が観察 され、その報告は広く世界で受け入れられました。こうして、「染色体は、規則正しく束ねられたクロマチン線維が、階層構造をつくって折り畳まれたものである」というのが定説となったのです。
そんなことはありません。私もずっと信じていました。ドイツのグループとの共同研究として、2008年頃、生きた状態に近い細胞を観察できる特殊な顕微鏡 (クライオ電子顕微鏡)を用いて、分裂中のヒト細胞を調べました。すると、ヌクレオソーム線維の存在を示す「直径11ナノメートルの構造」を観察することはできましたが、クロマチン線維モデルに相当する「直径30ナノメートルの構造」を観察することはできませんでした。この結果について熟慮し、「もしかし たら、モデルのようなクロマチン線維は存在していないのかもしれない」と考えはじめました。歴史的には、クライオ電子顕微鏡技術を開発し、私たちの共同研 究者でもあったJ. Dubochet教授が、1986年に「クライオ電顕では11ナノメートルの構造以外には何も見えない」と報告しています。しかし、当時のクライオ電顕は 技術的な問題が多々あり、明確な結論を出すには至りませんでした。
私たちも2008年の成果を論文にしましたが、否定的な反応も多くあり ました。当時は、クロマチン線維の規則正しい束ねられ方に2通りが考えられ、そのどちらが正しいかという点に注目が集まっていました。研究者たちにとって 「規則正しく束ねられたクロマチン線維は存在しない」と報告した私たちの論文は受け入れ難かったようです。
はい、そのとおりです。スプリング8では非常に強力なX線である放射光を使うことができます。もし、放射光をあてた際の散乱データとして30ナノメートルの ピークが観察されなければ、モデルのようなクロマチン線維は存在しない可能性が高いことになります。ところが実際に解析してみると、30ナノメートルの ピークは観察できました。つまり、「クライオ電子顕微鏡で観察できなかったものが、X線で解析すると確認できる」という矛盾が生じたのです。そこで、クラ イオ電顕の画像を洗い直すことにしました。すると、染色体の縁に「黒いつぶ」がたくさんあり、このつぶがリボソームであることがわかりました。タンパク質 の合成工場であるリボソームは細胞質内に非常に多く存在しますが、細胞から染色体を調製する過程で、染色体の縁にくっついてしまったのだろうと思われまし た。リボソームの直径は約30ナノメートルにもなりますので、X線で解析すれば30ナノメートルのピークを出すことになります。
ここまで 来て、放射光による30ナノメートルのピークが、染色体の本体をとらえたものではなく、染色体の表面に付着したリボソームに由来したのだろうと気づきまし た。その検証のために、リボソームを取り除いた染色体で同じようにX線散乱解析したところ、30ナノメートルのピークは観察されなくなりました。その上の 階層構造については、リボソームの有無にかかわらず、存在を示すピークは観察されませんでした。一貫して観察できたのは、ヌクレオソーム線維の存在を示す 11ナノメートルのピークだけでした。
実は、定説モデルの根拠とされた「電子顕微鏡による直径30ナノメートルの構造」は、クロマチンを 細胞外に取り出した後、1〜2mMのマグネシウムイオン下で観察したものでした。今から考えると、細胞内とは微妙に異なる環境により、束ねられ方の状態が 変わってしまっていたのだと思います。
一連の結果は、定説のモデルにあるクロマチン線維も、クロマチン線維がさらに規則正しく束ねられた階層構造も存在していないことを強く示しています。つまり、細胞内では、ヌクレオソーム線維がかなりいいかげんに凝集した状態で収められていることになります。細胞にとって、クロマチン線維や階層構造を作るのは、莫大なエネルギーが必要で負担の大きいことだといえます。それよりは、最低限の秩序を保つヌクレオソームの構造をつくり、あとはいいかげんに凝集して 省エネに徹する方が合理的といえ、真核生物はそのような戦略をとったのでしょう。
特定の遺伝子については、転写開始のしくみがさかんに研究されていますが、収納や検索についてはほとんどやられていないのが実情です。実は、収納のしくみを 明らかにすることは、必要な情報が核内でどのように検索され、読み出されるのかについて検討するヒントにもつながります。私の興味は、個別の遺伝子ではな く、DNAに普遍的な収納や情報検索の大まかなしくみを知ることに尽きます。非常に大きな課題ですが、現在は、個別の要素の動きを一つずつ検証していると ころです。たとえば、情報の検索を行うタンパク質は、ブラウン運動による動きを使って省エネをはかっているのではないかといったことがわかってきています。私の研究を突き詰めると「生きているとはどういうことか」を理解することになりますが、一方で、全く新しい概念によるメモリデバイスや情報検索システ ムの開発に結びつくかもしれないとも考えています。
(文: サイエンスライター・西村尚子 / 2012.02.24 掲載)
掲載論文
Yoshinori Nishino, Mikhail Eltsov, Yasumasa Joti, Kazuki Ito, Hideaki Takata, Yukio Takahashi, Saera Hihara, Achilleas S Frangakis, Naoko Imamoto, Tetsuya Ishikawa and Kazuhiro Maeshima.
The EMBO Journal, Published online: 17 February 2012 DOI: 10.1038/emboj.2012.35