直接のきっかけは、卒業後の進路を決める際に、染色体の情報を監視して細胞増殖を制御している「チェックポイント機能」に興味をもったことです。それが、イ ギリスのサセックス大学への6年にわたる留学につながりました。留学先で「ゲノムDNAの損傷を感知するシステムは、細胞が内外の環境を知る手段にもなっ ているのではないか」と思い当たり、その後は一貫して、損傷の検出に関わる因子や損傷修復のメカニズムを解明したいと研究を続けています。
細胞やDNAの損傷を感知し、細胞周期を止めたうえで修復の準備を整えるタンパク質を「チェックポイントタンパク質」と総称します。分裂酵母ではATR、 CHK1など、約11種のチェックポイントタンパク質が知られていますが、私は、修復応答の起点に一番近いところ、つまりDNAの直近に位置するRad9 というチェックポイントタンパク質の構造と機能を解析することにしました。2006年に帰国し、遺伝研に赴任しましたが、その後も、分裂酵母を用いた Rad9研究を別プロジェクトと両立して続けています。
私たちの細胞は、太陽の紫外線や自らの呼吸によって生じる活性酸素など、常に内外 からのストレスにさらされています。こうしたストレスは、ゲノムにDNAの欠失・挿入・置換、二重鎖の切断といった、さまざまな損傷を引き起こします。損 傷を抱えたまま細胞分裂を繰り返すと、細胞はがん化などの不都合な事態に見舞われますが、細胞はそうならないよう「常にDNAの損傷をチェックし、必要に 応じて直ちに修復作業に入れる状態を整える機構」をもっています。「この機構を発動するか、しないか」を決定するのに重要な役割を果たすのがRad9で、 他のチェックポイントタンパク質をDNA上につなぎとめる機能も担います。Rad9は、あらゆる真核生物に共通して存在していることがわかっています。
Rad9 は、426個のアミノ酸からなる環状のタンパク質複合体です。これまでに、「DNAの2本鎖の切断」の有無を常時チェックし、このような損傷を検出する と、環の中にDNAを通すようなかたちで損傷部位と結合し、修復の準備を進めることが知られていましたが、具体的な制御の分子メカニズムは謎でした。私 は、Rad9の活性化部位や活性化の順番、ほかの分子との相互作用などについて の詳細な解析を進めることにしました。
まず、留学中に、 Rad9の変異体分裂酵母を用いて、Rad9が機能を発揮するために必要な「リン酸化部位」の探索を行いました。その結果、2004年に、Rad9の特定 の3か所にリン酸化部位が存在することを突き止めました。そして、はじめに2か所がリン酸化を受けたあとで、「Rad9のDNAへの結合」、「Rad9の 立体構造の一部が変化」、「上記の3か所のうちの1か所における段階的なリン酸化」が段階的に起きることを明らかにしました。また、このようなリン酸化が おきると、Rad9のさまざまな部位に下流のチェックポイントタンパク質が結合できるようになり、タンパク質複合体へと姿を変えていくことも明らかにしま した。
今回は、上記とは別の3か所にもリン酸化部位があることを明らかにしました。また、最終段階において、Rad9の別の部位がさらに リン酸化されることで Rad9とDNAとの結合がはずれること、Rad9がDNAからはずれないと修復が滞ってしまうことなども突き止めました。
こうしたRad9の一連の動態は、ワインの栓抜きにたとえるとわかりやすいと思います。タンパク質は細胞がもつ「道具のようなもの」ですから。第一段階は 栓に栓抜きをねじ込むことで、「DNA 損傷部位への結合と、はじめのリン酸化」に相当します。第二段階は栓抜きのレバーを動かして栓を上にあげることで、「二番目のリン酸化」に相当します。第 三段階は栓を抜くことですが、これは「Rad9とDNAとの結合がはずれること」に相当します。栓抜きもRad9も、第一段階から順に進む点がポイントで す。また、栓が抜けないとワインを飲む準備が整わないように、Rad9がDNAからはずれないと修復が進みません。つまり、いずれも、任務を果たすには作 業を最後まで完了させることが重要となります。
チェックポイントタンパク質は数多く同定され、下流に位置するものは比較的よく調べられていますが、上流に位置するものを対象にし、今回ほど一つのタンパク質に 関して制御と機能を詳細に解析した研究は、他にありません。この点が最大の評価ポイントだったと思います。私個人としては、Rad9が「DNA をチェックする機構」と「DNA修復に向かわせる機構」をどのように連携して行い、両立しているのかを示せた点がよかったと思っています。
変異体の作出や解析が容易な分裂酵母を用いたことと、リン酸化されやすそうな部位をコツコツと網羅的に解析したことでしょうか。実験では「リン酸化されてい る部位にのみ結合する抗体」を使い、遺伝学的な手法で変異体の挙動を詳細に解析しましたが、このような解析は分裂酵母でしかできないと思います。
まずは、ヒトの細胞株を用いて、今回、分裂酵母でみられた機構がヒトにもあることを示し、制御の普遍性を追求したいと考えています。Rad9による機構は真 核生物に共通してみられますが、分裂酵母に限ってみると、このしくみがなくてもなんとか生きていけます。私は、なくても何とかなるのに存在するのは、ほか にも重要な機能を担っているからではないかと考えています。DNA損傷は呼吸活動による酸化ストレスや、転写などのDNA上での生命活動によっても生じま す。これらの活動量は、まわりの環境変化の影響を受けます。もしかしたら、Rad9による機構が、発生や分化において「まわりの環境変化をDNA損傷の微 細な変化によって感知するしくみ」をも担っているのかもしれません。実際に、発生過程でチェックポイントタンパク質の活性が必要になるとも報告もあり、今後は、このあたりを念頭において研究したいと考えています。
(文: サイエンスライター・西村尚子 / 2010.11.29掲載)
掲載論文
Furuya, K., Miyabe, I., Tsutsui, Y., Paderi, F., Kakusho, N., Masai, H, Niki, H., and Carr, AM. Molecular Cell, Nov 24, 2010. DOI: 10.1016/j.molcel.2010.10.026
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