第5回 精子幹細胞を維持するしくみ──Nanos2遺伝子が鍵だった!

精子幹細胞を維持するしくみの一端を解明Nanos2遺伝子が幹細胞の未分化維持の鍵だった!

私たちの体の各部位には、「生涯にわたって分化細胞を作り続けるための大元になる細胞」が備わっている。 「幹細胞」とよばれるこれらの細胞は、たとえば骨髄や皮膚などにみられるが、精巣中にも存在する。 このほど、国立遺伝学研究所発生工学研究室の佐田亜衣子研究員は、同研究室の相賀裕美子教授の指導の下、精子の幹細胞に特異的に発現している遺伝子を同定し、幹細胞を維持するしくみの一端を解明した。

一般に「細胞」というと、「分化した細胞」を指すことが多い。これら は、ある一定回数分裂すると寿命を迎えて死に向かう。一方、幹細胞は「自分を複製しつつ、特定の細胞にも分化できる」という特徴をもつとされる。たとえば、骨髄にある造血幹細胞は、赤血球、好中球・好酸球・リンパ球などの白血球、血小板と、あらゆる血液細胞に分化する多能性を維持している。幹細胞は、体の各所に設けられた「分化細胞の供給源」といえるのである。

このよう に生体の維持にきわめて重要な役割を担う幹細胞だが、その動態には謎が多い。たとえば、臓器や組織中の細胞集団において、確実に「そのありか」を特定するのはきわめて難しい。「精子幹細胞の場合には、候補となる細胞集団を空の精巣に移植し、きちんと精子ができてくれば、その細胞集団には幹細胞が存在したことになりますが、この手法では、細胞集団中のどの細胞が幹細胞かというところまでは特定できません」。そう話す相賀教 授は、発生学研究の一環として、約10年前から生殖細胞の発生過程で重要な機能を果たす遺伝子の探索を行っていた。

相賀教授

そのような候補遺伝子の一つにNanos2とよばれるものがあり、その解析が、今回の成果につながることになった。「この遺伝子が哺乳類の生殖細胞の分化過程でどのような機能を果たしているのか、探ってみようと思いました」と相賀教授。さっそくマウスでクローニングしたところ、Nanosには3種(Nanos1,2,3)あることがわかったという。このうち、Nanos1はノックアウトしても表現型に影響があらわれず、Nanos2は雄の胎児期の生殖細胞に発現していて、ノックアウトすると胎児期に生殖細胞が死滅して精子ができないという異常がおきた。「これらの結果から、胎児期における生殖細胞の維持に重要であることはわかりましたが、実はNanos2の発現は生後の非常に限られた細胞にもみられたのですが、その細胞の同定や機能については解明できていませんでした」と相賀教授。

佐田研究員

そこで白羽の矢を立てられたのが、総研大の大学院生として遺伝研にやってきた佐田研究員だった。「生後の精巣において、Nanos2を発現する細胞はどんな細胞なのか、正常発生させたマウスに生後のある時点からNanos2をノックアウトするとどうなるのか、逆に、ある時点からNanos2を強制発現させるとどうか、という3本の柱を決めて研究に取り組みました」と佐田研究員。

精子幹細胞は「精原細胞」とよばれる未分化な細胞集団に含まれることが知られている。精原細胞は、数回の分裂を経て減数分裂を開始し、精母細胞、精細胞、成 熟した精子へと分化する。しかし、一口に精原細胞といっても、細胞の形態や遺伝子発現が均一ではなく、どの細胞が「本当の幹 細胞」なのかは明らかでなかった。「解析の結果、精原細胞集団のうち、最も未分化な細胞でのみNanos2が発現しているように思われました」と佐田研究員。そこで、マーカー遺伝子を用いてNanos2発現細胞の運命を追ってみた。すると、予想どおり、Nanos2発現細胞の中に、幹細胞が存在していることが明らかになったという。

次に、生後にNanos2の発現を失わせる(ノックアウトする)実験を行った。すると、わずか数日のうちに幹細胞がなくなり、精子形成が完全に阻害されることがわかった。そのような個体では、2ヶ月後には、精子もまったくなくなってしまった。一方で、分化を始めると発現がなくなるはずのNanos2を、常に発現するように操作してみたところ、精子幹細胞は幹細胞のままで、精子に分化できなかった。このような精巣は、しばらくすると幹細胞だらけになってしまったという。

相賀教授と佐田研究員は、「Nanos2 は、精子幹細胞で発現し、幹細胞として維持するために不可欠な遺伝子であるといえる」と結論づけ、一連の成果をscience誌で発表した。「生体マウス を使って解析した点が評価されたのだと思います。生体マウスの実験には時間がかかりますが、私は、哺乳類がもつ精巧なしくみとフレキシビリティーに興味が あります。遺伝研にはマウスを使った発生学研究の設備が整っており、とてもやりやすいです」と佐田研究員。現在は、Nanos2の下流に位置する遺伝子の解析も始めているという。

「私は、発生に関することなら、どんなことにも興味を覚えます。ぜひ多くの学生の方に、遺伝研で中身の濃い研究を堪能してほしいと思いますね」。そう話す相賀 教授は「佐田さんは遺伝研の恵まれた研究設備のなかでのびのびと研究し、さまざまな分野の研究者ともディスカッションを重ねてがんばってきました。現在は、苦手だった英語も克服し、卒業後の進路として海外のポストを視野にいれはじめているようです。ぜひ夢を実現させてほしいです」とエールを送る。佐田研 究員の世界を股にかけた活躍に期待したい。

(文:サイエンスライター・西村尚子 / 2010.06.01掲載)

掲載論文

The RNA-Binding Protein NANOS2 is Required to Maintain Murine Spermatogonial Stem Cells

Aiko Sada, Atsushi Suzuki, Hitomi Suzuki, Yumiko Saga
Science, Vol. 325. no. 5946, pp. 1394 – 1398, 2009. DOI: 10.1126/science.1172645

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