分裂を繰り返す細胞は自らの老化の程度をモニターし、あるレベルに達すると死に向かう。「細胞老化」とよばれ るこうした現象は生物の寿命を決める重要な因子と考えられるが、具体的なモニター機構についてはよくわかっていなかった。 このほど、国立遺伝学研究所 細胞遺伝学研究部門の小林武彦教授は、細胞中のゲノムの安定性の低下が細胞老化を引き起こす要因の一つになっているのではないかと考え、出芽酵母を用いて さまざまな実 験を行った。その結果、ある巨大反復遺伝子群に「次世代に完全無欠の遺伝子を渡すための機構」があることを突き止め、この遺伝子群の安定性が細胞モニター として機能し、老化や寿命のスイッチを入れる要因になりうることを明らかにした。
生物が確実に命をつなぐためには、自らの遺伝情報を「傷のない完璧な状態」で次世代に渡さなければならない。ところが親の遺伝子を複製・分配する過程では、ある確率で傷(変異)が入ってしま う。たとえば染色体の不分離や遺伝子の欠失などは、排除されるべき重大な傷となるが、一方で、一塩基置換などの小さな傷が、進化や多様性の獲得に有利には たらくこともある。「どこまでの傷が許容されうるもので、傷を修復するためにはどのような機構がはたらくのかという点に興味があった」。そう話す小林教授 は、出芽酵母にみられる遺伝子増幅を解析することで、DNAの進化と可塑性についての検討を続けてきた。
単細胞の真核生物である出芽酵母 は、栄養状態などの状況に応じて、出芽(分裂)によって増えるか、胞子を形成するのかが決まる。出芽で増えるときのサイクルは1世代あたり約2時間で、娘 細胞は母細胞と同一のゲノム情報をもつクローンといえる。小林教授は、出芽でしか増えること ができないように操作した株を用いて、「rDNAリピート群」という巨大反復遺伝子群の「繰り返し数」に着目して解析を進めた。
ある一つの出芽酵母は20回ほど分裂を繰り返すと、細胞が老化して死に至る。ところが、作られる娘細胞は、母細胞の老化状態に関係なく、新たに20回分裂 して娘細胞を作る能力をもっている。つまり、娘細胞は永遠に生き続けるとも解釈できる。「私たちは、老いた母細胞でも若い娘細胞を作り出せるのは、遺伝子 が複製されて娘用のゲノムができる際に、ゲノムの若返り(リセット)が起きるためであることを、実験によって明らかにしました」と小林教授。
小林教授らはrDNAリピート群が、どのように娘細胞に渡されるかを調べた。この遺伝子群はリボソームを構成する RNA(rRNA)を作るためのもので、娘細胞には完全な状態で約150コピー分が渡されるという。「一般に、遺伝子の繰り返し部位は不安定で壊れやすい のですが、rDNAリピート群には、娘細胞に渡すための150コピーが正しい配列になっているかどうかを検証し、異常を排除するしくみ(ジーン・コンバー ジョン)がはたらいています」と小林教授。一方の母細胞側のrDNAリピート群は、分裂を繰り返すたびにコピー数が異常に多くなり、細胞老化が進んでいくという。
さらに小林教授は、ジーン・コンバージョンの機構が変異した株を作り出すことにも成功。そのような個体では母細胞の寿命が延びるものの、rDNAリピート群 の傷を修復できずに娘細胞に渡してしまうために、最終的には株が絶滅してしまうとことを突き止めた。小林教授は「一連の結果は、rDNAリピート群の安定 性が細胞モニターとして機能し、老化や寿命のスイッチとなりうることを示唆しています」とし、「ヒトにも同様の機構があるはず。実際に、ウェルナー症候群 などの早期老化症ではrDNAリピート群が不安定になっていることが報告されています」とコメントする。
ヒトの老化は生物学に残されたブ ラックボックスの一つだが、そのメカニズムを高等生物で検証するのは容易ではない。老化するまでに、マウスで約2年、サルなどの霊長類では数十年もかかる からだ。その点、世代サイクルの短い酵母は、格好のモデルといえる。「出芽酵母は有性生殖でも増えるので、従来の遺伝学的な手法が使えるメリットもありま す。私たちは、酵母を使って配偶子形成と老化との関わりについても検討しはじめており、ダウン症などの原因となる染色体の不分離がおきるメカニズムにも迫 りたいと考えています」と話す小林教授。直径わずか5ミクロンほどの酵母を相手に、奮闘する日々が続く。
(文: サイエンスライター・西村尚子 / 2010.01.04掲載)
掲載論文
Ganley, A.R.D., Ide, S., Saka, K., and Kobayashi, T.Molecular Cell, Volume 35, Issue 5, 683-693, 2009 DOI: 10.1016/j.molcel.2009.07.012
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