経験が研究アプローチを変えていく

「失敗を避けるだけでも、深く考えずに挑戦するだけでもだめだと思う。新たなパラダイムを創造したいから、私は『大胆かつ細心』に研究をしていきたい」。榎本准教授は、自らの言葉を確かめるように語る。若き研究室の主宰者は、思考と試行を繰り返す成長途上にあり続ける。

研究の変遷

東京大学薬学部に遡る榎本准教授の研究への第一歩は、「誰もやっていないだろうから」という理由で、脂質に着目して細胞膜の動きを明らかにするものだった。 博士号取得後、東京都臨床医学総合研究所時代は、細胞膜においてリン脂質分子の局在が変動することが、細胞の形態形成・運動・分裂を規定することを、分子イメージングで明らかにした。同時に、ひとつの細胞からわかることは限られているというジレンマを感じることになる。「個体を扱いたい。体の中でどのようにそれぞれの細胞が形作られているのかを見たい」。そうして探し求めた新天地、カリフォルニア大学サンフランシスコ校では、神経回路のトップレベルの研究室に所属し、ショウジョウバエの感覚ニューロンの形態形成について研究していた。ショウジョウバエの神経回路は、マウスやヒトと異なり、容易に全体を俯瞰してみることができる。榎本准教授には、そこが魅力的だった。現在は、ショウジョウバエを対象に神経回路の維持・再編メカニズムの研究を行う。榎本准教授にとって、ここはまだスタートに過ぎない。「生きている状態で神経回路を見ることができるショウジョウバエで、ヒトやマウスではできないことをやっている。将来的には、ヒト精神疾患の発病メカニズムの解明につなげていきたい」。

仮説に捉われた過去

アメリカ時代を振り返るとき、榎本准教授の表情は曇る。それは、その時代の研究を「恥ずかしい仕事だった」と位置付け、反省しているからだ。研究成果が出なかったわけではない。しかし、自分でなければ生み出せなかった成果かと問われれば、違う。

「研究テーマの本質的なところに、自分はかかわれなかった」。アプローチの仕方に問題があったと榎本教授は感じた。今も昔も変わらず、研究の基本は、「仮説を立て、結果をみて考察する」ことだ。「当時の私は、目の前の仮説に飛びつき過ぎた。一連の研究の流れの中で、安易な仮説にとらわれて固執しすぎていた」。思い込みが強いと、無意識的に仮説に沿った結果を出そうとしてしまうことは少なくない。榎本准教授は、稚拙な自分の研究アプローチを反省した。

自分の研究スタイルを構築する

「今は、意識的に情報を遮断しようとしている」。帰国し、遺伝研で研究室を主宰する立場になった榎本准教授は、研究への取り組み方を少し変えた。研究に取り組む際に最低限の文献は読む。そうして全体を俯瞰した上で大まかなあたりをつけた後は、ある程度の結果をまとめるまで基本的には他の人の論文を読まない。「こうすることで、見た物に対して素直になれる。オリジナルなものを創造するためには、他の人の意見を借りるのではなく自分で解釈する」。次第に、先入観を持って結果をみることがなくなり、榎本准教授は視野の広がりを感じている。

研究室を持ち始めて一年半。学生にも、仮説や他人の意見捉われない、自分から自由に研究に取り組む姿勢を身につけて欲しいと願う。「とにかくがむしゃらにやってみる。これまでにやられているかどうかなど関係なく、自分でテーマを選んで研究をする。それから、周囲の意見を取り入れて発展させていけば良い」。 学生も榎本准教授も、自らの研究をこれから開拓していく。

(文：藤原 千明 / 株式会社リバネス　2006年インタビュー)