第15回 イネの栽培化は、中国の珠江流域で始まった!

イネの栽培化は、中国の珠江流域で始まった!大規模シークエンスによって、栽培化起源の論争に終止符

イネの染色体やゲノムについての研究を始められたのはなぜでしょうか?

倉田教授

はじめは、小さくて同定が難しかったイネの染色体の標本化と識別の研究をしていました。1980年代に入ると、分子生物学の手法が使われるようになり、私も 動物細胞を対象にさまざまな技術を学びました。その後1991年に、農林水産省がイネのゲノムを解析する大規模プロジェクトを立ち上げ、農業資源生物研究 所においてチームリーダーを務めることになりました。約5年、遺伝子地図の作成などに関わり、全ゲノムをシークエンスするという流れができました。次のス テップとして私はどうするべきかを考えていたところ、遺伝研から声がかかり、1996年に着任しました。
遺伝研では、ゲノムの構造と機能との 関連、ゲノムが進化の過程でどのように変化してきたのか、といったことが研究テーマの基本です。イネゲノムは約400メガ塩基対で、他の生物にくらべると 大きくはないのですが、解析は容易ではありません。しかし、栽培化にともなう選択圧や生殖隔離がゲノムに大きな変化をもたらしてきたので、研究対象として は好都合です。私は、シークエンスやバイオインフォマティクスだけでなく、発生学や遺伝学の手法も用いて、多角的に研究を進めています。

イネの栽培化の起源と拡散について、どのような説と論争があったのでしょうか?

栽培イネには大きく2つの系統があります。一つは、日本人が主食とするジャポニカ 系統です。ふっくらと丸みを帯び、モチモチとした食感が特徴です。もう一つは、タイなどの東南アジアで好まれるインディカ系統で、米は長細く、パサパサし た食感と独特の香りをもつ品種を含むのが特徴です。
栽培化の起源については、1万〜7000年前にさかのぼるというのが定説になっています が、「栽培イネの起源が、ただ一つの地域の一つの系統に由来するのか」、あるいは「複数の地域で独立の系統から栽培化がはじまったのか」という点が論争に なっていました。前者の単一説を支持する研究者たちは「中国、雲南省の南部、揚子江の中流域で栽培化がはじまり、その後でジャポニカとインディカの系統に 分かれた」とし、後者の複数説を支持する研究者たちは「ジャポニカ系統は雲南省の揚子江流域、インディカ系統はインドのガンジス川流域で独立に栽培化され はじめた」としています。各派が報告する研究成果はいずれもゲノムの配列を大きな根拠としてきましたが、「使われるイネのサンプルが、研究者ごとに異な る」、「配列をくらべる領域が10以下と少ない」といった状況で、結論が出ませんでした。

今回、先生はどのような解析を行ったのでしょうか?

アジア各地から収集された野生イネ(O.rufipogon)446系統と、栽培イネ(O.sativa)1083 系統の計1529系統を対象に、次世代シークエンサーを用いたゲノム解読と、バイオインフォマティクスを用いたデータの解析を行いました。まず、各系統の 全ゲノムを2倍量ずつ薄く読みました。高精度のゲノム解読だと全ゲノムを100〜200回繰り返し読む必要がありますが、費用や時間が膨大になってしまい ます。2回ずつ読んだだけでは配列が決まらずに穴となった箇所がたくさん残りますが、今回は、そのような部位を他の系統のゲノムデータから推測することで 対応しました。
このようにして全ゲノムのデータを揃えたうえで、塩基配列を比較し、その類似度から祖先関係を描き出しました。とくに、栽培化にともなってゲノムから掃き出された領域(セレクティブ・スウィープ)55か所に注目して解析を行いました。

具体的に、どのようなことがわかったのでしょう?

ジャポニカの最も古い系統をたどっていったところ、中国、珠江の中流域に行き着き ました。そのジャポニカ系統につながった野生イネの生息地もまた、珠江の中流域であることがわかりました。また、インディカ系統についても調べたところ、 やはり珠江中流が起源で、インディカ系統につながった野生イネの生息地も、同じ珠江の中流域でした。これらのことは、珠江の中流域において「倒れにく い」、「実が落ちにくい」といった栽培に適した野生系統のあるイネが選び出されて稲作がはじまり、やがてジャポニカ系統は単一系統由来のものとして、また インディカ系統は各地の野生イネ系統と交配しながら、アジア各地に広がっていったことを端的に示しています。
また、中国大陸から日本に伝わっ たジャポニカ系統と、タイ、ベトナム、インドなどに広がったインディカ系統とでは、遺伝的な距離がかなり大きいことも明らかになりました。ほぼ同一の祖先 をもちながらも、栽培化のための選択圧が約1万年も加わった結果、遺伝的にかなり異なる2つの系統に進化したことが伺えます。

論争に終止符を打つ鍵は何だったとお考えでしょうか?

約1500もの系統の全ゲノムを比較した大がかりな解析ができた点と、そのなかに これまでの解析で使われてこなかった中国に由来する野生イネも含めることができた点です。まだ論文が出たばかりですが、今回は多くの研究者が解析結果を受 け入れるのではないかと思っています。

次の課題や目標は何でしょうか?

栽培化の鍵となった55のセレクティブ・スウィープの詳細な解析です。機能だけで なく、生育環境との対応、進化速度など、まだ未解明な部分がたくさん残っています。内外の研究者たちが、今回の私たちのデータをもとに個別研究を進めてく ださることも期待しています。そして、得られたデータを集約することで、稲作をはじめとする農業に役立てられたらよいと思っています。
栽培化 された系統は生殖隔離がおき、すでに、交配が可能なグループ分けがなされています。実は現在、アメリカのチームとともに、栽培化の直接祖先とは異なる多様 な種類の野生イネグループの全ゲノムを解読するプロジェクトを始めており、引き続き進めていきたいと考えています。

先生にとって遺伝研とは、どんな存在でしょうか?

遺伝研の特長は、研究室間に壁がなく、出入りが自由で議論が活発なことです。教育機関でもあるので大学院生もいますが、彼らの存在も研究者にとても良い刺激となっています。このような恵まれた環境において、私も心から研究を楽しむことができています。

(文: サイエンスライター・西村尚子 / 2012.12.12掲載)

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