


生命がそれぞれ異なる未来へ向かい始める、
その最初の瞬間をとらえたい。
同じ遺伝子を持ち、同じ環境で育つ。それでも、ある個体は生き、ある個体は死ぬ。私たちは、生き物の違いを「遺伝」と「環境」で説明してきました。では、その二つをそろえてもなお残る違いは、いったいどこから生まれるのでしょうか。鳥井孝太郎特任准教授が追いかけているのは、生命がそれぞれ異なる未来へ向かい始める、その最初の瞬間です。
10月11日(日)に開催される「出張!遺伝研」。鳥井孝太郎特任准教授の講演では、生命が未来へ向かい始める「命のコイントス」はいつ、どこで投げられるのかについて迫ります。


Profile 2015年 京都大学農学部資源生物科学科卒業。2020年 京都大学大学院生命科学研究科統合生命科学専攻修了、博士(生命科学)。2020~2024年 理化学研究所 開拓研究本部 新宅マイクロ流体工学理研白眉研究チーム特別研究員。2024~2025年 理化学研究所 環境資源科学研究センター特別研究員。2025~2026年 理化学研究所TRIP-AGIS研究員、科学技術振興機構さきがけ研究員(専任)。
同じ遺伝子、同じ環境。それでも運命は分かれる
生命の特徴や性質には、遺伝子が深く関わっています。そして、どのような環境で育つかも、その後の姿を大きく左右します。では、「遺伝子」と「環境」の両方をそろえれば、生命は同じ未来をたどるのでしょうか。答えは、必ずしもそうではありません。
同じ遺伝子を持つクローン動物や、同じ株から増やした植物でも、同じ環境で育てたときに、成長速度や振る舞いに違いが生まれることがあります。
「同じ遺伝情報を持ち、同じ環境で育った個体であっても、その後に同じ運命をたどるとは限りません」
と鳥井さんは話します。
この違いをより明確に捉えるために、鳥井さんが注目したのが、線虫です。
研究に用いた線虫では、同じ遺伝的背景を持ち、同じ環境で発生しているにもかかわらず、胚がおよそ半数ずつ「孵化する」「発生途中で死ぬ」という異なる運命に分かれます。
遺伝子も環境もほぼ同じ。それなのに、なぜ一方は生き、もう一方は死ぬのでしょうか。


「未来の分かれ道」を見る方法がなかった
原因を探るには、受精直後から胚の中で何が起きているのかを調べればよさそうです。ところが、ここには生命科学の大きな壁がありました。
細胞の状態を詳しく知るために使われるRNA解析では、通常、細胞を壊して中のRNAを取り出します。
つまり、「今、この細胞で何が起きているか」は分かる。しかし、その細胞がその後どうなるのかは分からない。測定した瞬間、その細胞の未来が失われてしまうのです。鳥井さんが知りたかったのは、まさにその未来でした。
「この胚は今こういう状態だった。そして数時間後にはこう変化し、最後には生まれた」
という、同じ生命の中でつながった時間の記録が必要だったのです。
そこで考えたのが、「細胞を殺さずにRNAを取り出す」という方法でした。
「今」を測っても、「未来」が残る技術
鳥井さんが開発したのは、生きた細胞からRNAの一部だけを取り出す技術です。
細胞膜に微細な管を密着させ、電気刺激によって一時的に微小な孔を開けます。そこからRNAの一部を取り出した後、孔は修復され、細胞はそのまま生き続けます。
つまり、一度RNAを測定して終わりではありません。
同じ細胞から時間をおいて再びRNAを取り出し、さらにその細胞がその後どんな運命をたどったのかまで追跡できます。
従来法が、「一枚の写真」だとすれば、新しい方法は、「同じ生命を追い続ける動画」に近いものです。
この方法を実現するまでには、電気刺激の強さや向き、タイミングなど、さまざまな条件を試しました。
試行錯誤すること約1年半。ようやく、細胞を生かしたままRNAを安定して取り出せる条件にたどり着きました。そのときの感覚を、鳥井さんはこう振り返ります。
「まるでRNAに『おいで』って言ったら出てきてくれたような感じでした。やっとできたー!って(笑)」
未来は、すでに胚の中に現れ始めていた
この技術を使い、鳥井さんは、線虫の受精直後の1細胞期から、2細胞期、4細胞期へと発生していく過程でRNAを繰り返し測定しました。
そして、それぞれの胚が最終的に「孵化した」のか、「発生途中で死んだ」のかを追跡しました。
すると驚くべきことに、発生のごく初期に測定したRNAの情報から、その胚が将来生きるのか死ぬのかを予測できることが分かりました。
見た目にはまだほとんど違いがない段階で、未来につながる分子的な違いが、すでに胚の中に現れ始めていたのです。
しかし、さらに興味深い結果がありました。
同じように「生きる」という結果にたどり着いた胚同士でも、その途中のRNAの状態は同じではなく個性があったのです。
運命が同じ個体のデータの中で、一部のRNAデータを別の個体のものとランダムに入れ替えて解析すると、将来の運命を正しく捉えられなくなりました。
つまり、同じゴールに到達した生命であっても、そこまでに通ってきた分子的な道筋は個体ごとに違っていたのです。


「コイントス」は一度で終わらない
細胞の中では、RNAの量は絶えず変化しています。
ある遺伝子のRNAが少し多い。別の遺伝子は少し少ない。
こうした小さな違いは、一見すると偶然の「揺らぎ」に見えるかもしれません。
しかし、鳥井さんが注目しているのは、その揺らぎがその場で消えてしまわないことです。
ある時点で生じた違いが、細胞内のさまざまな制御を通じて次の状態に影響し、その状態がさらに次の状態へ影響する。
そうして小さな違いが時間の中で受け渡されてくとすれば、生命は毎瞬間、ゼロからコイントスをやり直しているわけではありません。
偶然に生まれた小さな差が「履歴」となり、その生命に固有の未来につながっていく。
「偶然の積み重ねだけなら、おそらく運命はいつまでたっても定まりません。生物である以上、その間にはさまざまな制御が働いているはずです」と鳥井さんは考えています。
一つひとつの生命には、それぞれの「道筋」がある
同じ遺伝子を持ち、同じ環境で育ち、最後には同じ結果にたどり着く。それでも、その途中で生命の内部に起きている変化は、全く同じとは限りません。
鳥井さんは、一瞬一瞬の分子的な状態が前の状態を引き継ぎながらつながっていく、一個体ごとの時間的な道筋に注目しています。
いわば、生命それぞれに固有な「生命軌道」です。最初はごく小さかった違いが、次の違いにつながり、さらにその先へ受け渡される。
そして、ある時点ではそれが、発生するかしないか、どのように振る舞うか、どれだけ長く生きるかといった、目に見える個性として現れてくるのかもしれません。
では、その長い連鎖の一番最初はどこにあるのでしょうか。
「生きる」「死ぬ」を分けた最初の小さな違いは何だったのか。それが、鳥井さんが探している「命のコイントス」の起源です。
装置がなければ、自分でつくる
鳥井研究室には、生物学の研究室らしい顕微鏡や実験器具に交じって、工具や電子部品も並んでいます。必要な装置が市販されていなければ、自分で設計し、部品を組み合わせて作ることもあります。
「既製品を探すより、自分でつくってしまった方が早いこともあります。それに、自分で作ったものなら、壊れても自分で直せますから」
生きた細胞からRNAを取り出す技術も、既存の方法では知りたい生命現象に届かないという問題意識から生まれました。
知りたい現象がある。見る方法がない。ならば、見る方法そのものをつくる。
工学と生命科学を行き来する研究スタイルが、これまで見えなかった生命の時間を捉え始めています。


自ら製作した生きた細胞の長時間観察のための装置で実験をする鳥井さん
生命の履歴から原因を探す生命科学へ
この技術が変える可能性があるのは、線虫研究だけではありません。例えば、ある細胞がiPS細胞へ変化した。ある細胞だけががん化した。ある細胞は薬に耐え、別の細胞は死んだ。
これまで、そうした出来事が起きたとき、その原因を知るには、似た別の細胞を調べ、何が違っていたのかを推測する必要がありました。
しかし、生きた同じ細胞を繰り返し測定できれば、結果が出たあとに、その細胞自身の過去へ遡ることができます。
「細胞が変化していく過程を追い、その変化をあとから遡って調べられる。いつ、どんな違いが運命を分けたのかを探しにいけるんです」
結果から過去を推測するのではなく、実際に記録された過去から、未来を分けた原因を探す。生命科学の見方そのものが変わる可能性があります。
線虫から、牛の受精卵へ
応用先の一つとして鳥井さんが考えているのが、牛の繁殖です。牛の繁殖では、受精卵を母牛へ移植しても、すべてが妊娠につながるわけではありません。
しかし、受精卵を壊して調べてしまえば、その胚を母牛に戻すことはできません。ここでも、「測定したら未来が失われる」という同じ問題があります。
もし、受精卵を傷つけずにRNAを調べ、「この胚は、この先うまく発生できそうか」を移植前に予測できれば、受胎しやすい胚を見分けられる可能性があります。
「例えば、移植する前に『この受精卵は受胎しやすい』『こちらは難しい』と分かるマーカーを見つけられれば、畜産業に大きな貢献ができると思っています」
と鳥井さんは考えています。線虫で追いかけている「生きる」「死ぬ」という運命の分かれ道が、将来は牛の「受胎する」「しない」という分かれ道の理解につながるかもしれません。
さらにその先には、細胞治療やがん研究など、医療への応用も考えられます。
「命のコイントス」は、いつ投げられるのか
遺伝子も同じ。環境も同じ。それでも生命は、一つとして完全に同じ未来を歩むわけではありません。
鳥井さんが追っているのは、「生きる」「死ぬ」という結果そのものではありません。
まだ未来が決まっていない生命の中で、最初の小さな違いがどこから生まれ、それが次の違いへ、さらにその先へと、どのように受け渡されていくのか。
命のコイントスは、いつ投げられるのか。
そして、その小さな一投は、どうやって一つの生命の未来へつながっていくのか。
その答えが見えてきたとき、生命科学は目の前の一つ一つの生命を理解する科学へと発展できるのかもしれません。
鳥井特任准教授の研究についてもっと知りたくなった方へ
遺伝研は10月11日(日)に東京・高輪ゲートウェイにて公開講演会「出張!遺伝研」にて鳥井特任准教授が講演します。遺伝研の東京での公開講演会の開催は7年ぶりです。ぜひご来場ください!

