


DNAの配列を読み解くことで、人類の歴史をさかのぼる。
そして、病気の原因を探り、一人ひとりに合った医療へ。
私たち日本人はどこから来て、どのように生きてきたのでしょうか。そして最新のゲノム研究は、私たちの医療をどのように変えようとしているのでしょうか。河合教授は、DNAの配列を読み解くことで、人類の歴史をさかのぼると同時に、現代の難病などの病気の原因の究明や個別化医療に応用する研究を進めています。
10月11日(日)に開催される出張!遺伝研の河合教授の講演では、一見かけ離れているように見える「進化史」と「医療」を結びつける、最新ゲノム研究の最前線に迫ります。


Profile 東京理科大学理工学研究科応用生物科学専攻博士課程修了。博士(理学)。
2006年より国立遺伝学研究所で特任研究員、2019年より国立国際医療研究センター ゲノム医科学プロジェクト上級研究員、2020年より同プロジェクト副プロジェクト長。現在、国立健康危機管理研究機構 国立国際医療研究所ゲノム医科学プロジェクト副プロジェクト長を兼任。
現代人のDNAに残る「縄文人」の痕跡
約30万年前、アフリカで誕生したホモ・サピエンス(現生人類)は、世界各地へと広がっていきました。
その一部の集団は、数万年という長い年月を経て、ユーラシア大陸を東へと旅し、やがて日本列島に到達します。
遺跡の発掘成果や地質学的な調査から、約3万年前には既にこの列島で人々の暮らしが営まれていたことが確かめられています。
さらに時代が進み、約1万6000年前から始まる縄文時代には、独特の縄文土器を作り出し、狩猟や採集、漁労を中心とした生活様式を持つ人々が列島各地に広がりました。
これがいわゆる「縄文人」です。
近年では、古代人の骨などに残されたDNAを取り出し、ゲノムを解析する技術が大きく進展しています。こうした古代ゲノム研究によって、縄文人がどのような遺伝的特徴を持っていたのか、そして現代の日本人にその特徴がどの程度受け継がれているのかが、DNAのレベルで明らかになってきました。
「縄文人に特徴的な遺伝的な特徴は、現代の日本人にもしっかりと受け継がれていることがわかっています。一方で、日本以外の周辺地域では、この縄文人固有の遺伝的特徴を持つデータはほとんど見つかりません」
と河合教授は説明します。


ゲノムから見えてきた、日本人の複雑なルーツ
日本人の起源として、1990年代に埴原和郎博士が提唱した「二重構造モデル」が広く知られています。これは、先住の縄文人に対して、縄文時代末期から弥生時代以降にかけて渡来した集団が混ざり合い、徐々に現代の日本人が形成されたとする仮説です。
しかし、近年の大規模かつ詳細なゲノム解析によって、このモデルだけでは捉えきれない日本人の成り立ちが見えてきています。
河合教授らの研究グループは、日本各地の現代人ゲノムデータを用いて、高精度な地域別比較分析を行いました。その結果、日本人という大きな括りの中にも、地域ごとに微細な遺伝的差異が存在することが明らかになりました。
特に、島根県の出雲地域、鹿児島県の枕崎地域、そして東北地方の人々のゲノムには、東京を含む関東、東海、近畿地方の人々とは異なる遺伝的パターンが検出されました。この結果は、日本列島への人々の移動が、縄文時代以降、一度だけではなく、複数回にわたって起きた可能性を示唆しています。
「特に、島根県の出雲地域、鹿児島県の枕崎地域、そして東北地方の人々のゲノムには、東京を含む関東、東海、近畿地方の人々とは異なる遺伝的パターンが検出されました。この結果は、日本列島への人々の移動が、縄文時代以降、一度だけではなく、複数回にわたって起きた可能性を示唆しています」
と河合教授は語ります。
こうしたゲノム解析によって、歴史書や考古学資料だけでは捉えきれなかった、日本列島の人類史のより複雑な姿が見えてきています。


進化史と先端医療をつなぐ架け橋
人類の歴史を探求する「進化」と、目の前の患者を救うための「難病解析・ゲノム医療」。
一見すると、学問分野として全く異なる方向を向いているように見えますが、河合教授の研究室では、この二つのテーマが一体となって進められています。なぜ、こうしたことが可能なのでしょうか。
「ゲノムデータを解析する基本的なアプローチは、現代人であっても古代人であっても共通しているんです。どちらの解析でも、次世代シーケンサー(NGS)と呼ばれる最新の高速解読装置を用いて、全ゲノムの塩基配列を読み取ります」
すなわち、蓄積されたゲノムデータは、人類の歴史を探る研究だけでなく、疾患の原因遺伝子を特定するための基盤でもあるのです。
では、読み取られたゲノムデータをどのようにして医療に活かすのでしょうか。
医療分野における代表的な解析手法の一つが「ゲノムワイド関連解析(GWAS)」です。
特定の疾患を持つ患者グループと、病気を持たない健康なグループのゲノム全体を比較し、統計的に有意な違いを示している遺伝的変異を特定する技術です。
「GWASを活用することで、糖尿病や高血圧といった生活習慣病にかかりやすい体質(遺伝的素因)や、抗がん剤などの薬品を投与した際に副作用が出やすいかどうかといった、個人の体質の違いが次々と解明されています」と河合教授は話します。


ロングリードシーケンサー。次世代シーケンサーの普及によってゲノム研究は飛躍的に進展しました。
一人ひとりに寄り添う個別化医療へ
河合教授は、こうしたゲノム解析技術を活かし、原因が特定されていない「難病(希少疾患)」に苦しむ患者の診断や治療につなげる研究も進めています。
難病の多くは患者数が少なく、一般的な臨床現場では専門医であっても症例を十分に集めることが困難です。
この課題を解決するため、河合教授は全国の専門医が参加する研究班や医療機関と連携し、全国レベルで患者のゲノム情報を集積・解析する広域プラットフォームの構築を進めています。
「病気の症状に対して、一時的な処置を施すだけでなく、ゲノムの情報から病気の原因そのものにアプローチすることで、これまで原因不明とされてきた難病の手がかりが見つかることがあります。
得られた知見を診断や治療に直接還元し、患者さん一人ひとりに最も適した医療を実現する。そのためのソフトウェア開発やデータベースなどの基盤技術を整えることが私たちの重要な役割です」
と河合教授は話します。


日本人完全長ゲノムが切り拓く、医療の新たな可能性
2003年、国際共同プロジェクトである「ヒトゲノム計画」は、ヒトゲノムの解読完了を宣言しました。
しかし、当時の技術では、染色体の端(テロメア)や中央部(セントロメア)など、同じ塩基配列が極端に繰り返される複雑な領域を読み取ることができず、全ゲノムの約8%が未解読のまま残されていました。
近年、この壁を打ち破ったのが、一度に数万塩基以上にも及ぶ長大なDNA配列を読み取ることができる「ロングリードシーケンス」技術です。
河合教授らの研究チームは現在、この最先端技術を駆使し、「日本人完全長ゲノム(T2T:Telomere-to-Telomereゲノム)」の構築に向けた研究を進めています。
「これまで読めなかった領域には、疾患や健康に深く関わる重要な遺伝子などが含まれている可能性があります。
こうした遺伝子の発見が、将来の医療に役立つことが期待されています」
より詳細にゲノム配列を読み解くことで、これまで十分に明らかになっていなかった遺伝子やゲノム領域の特徴が見えてくる可能性があります。
それによって、ヒトの遺伝子の働きや病気との関わりをより深く理解することにつながると期待されているのです。
原点は一冊の本
膨大なゲノムデータと最先端の解読アルゴリズムを操り、過去と未来をつなぐ河合教授。
その研究の原点は、どこにあったのでしょうか。時をさかのぼると、高校時代に出会った一冊の本に行き着きます。
当時高校生だった河合教授は、国立遺伝学研究所の教授であり、集団遺伝学・分子進化の世界的権威であった木村資生博士の著書『生物進化を考える』(岩波新書)を手に取りました。河合教授はそのときこう感じたといいます。
「今、生きている生き物の遺伝子の情報だけから、数万年から数億年にわたる過去の状態を完璧に復元できる。それはまるで、タイムマシンに乗って過去の世界を直接のぞき込んでいるかのような感覚でした」


この本との出合いをきっかけに、分子進化の道へと進んだ河合教授。
2006年には遺伝研の齋藤成也教授のもとで研究員として、分子進化研究に携わり、東北大学の東北メディカル・メガバンク機構などを経て、2026年4月に教授として遺伝研に戻ってきました。
河合教授が高校生の時に、「過去の生命の歴史を遡るタイムマシン」のように感じたゲノム情報。
技術の革新と研究の深化によって、現代のゲノム解析は過去を知るにとどまらず、疾病を克服し、新しい未来の医療のあり方を開く鍵へと、進化を遂げています。
河合教授の研究についてもっと知りたくなった方へ
遺伝研は10月11日(日)に東京・高輪ゲートウェイにて公開講演会「出張!遺伝研」にて河合教授が講演します。遺伝研の東京での公開講演会の開催は7年ぶりです。ぜひご来場ください!

