


ヒトや地球の「健康」は、数万種もの微生物たちによって維持され、それら微生物の変化が「病気」をもたらしたりする。そのダイナミクスが「メタゲノム解析」という手法によって徐々に明らかになってきた。「メタゲノム解析では、微生物由来のゲノム情報と、微生物が存在する環境の情報を一度に得ることができます。ゲノム情報に興味を持つのは生命科学分野の人だけでしたが、ゲノム情報と環境情報が結ばれることで、創薬や健康のみならず、農業、環境、建設など、幅広い領域への応用が期待されています」と黒川教授は語る。
Profile
東北大学理学部地学科卒業、大阪大学大学院薬学研究科応用薬学専攻後期博士課程修了。奈良先端科学技術大学院大学准教授東京工業大学大学院教授などを経て、2016年4月より国立遺伝学研究所生命情報研究センター教授。
身近にある微生物の社会
微生物は至るところにいます。土壌や海の中は微生物だらけだし、ヒトの皮膚やお腹の中、口の中も微生物でいっぱいです。それらがいると汚いかというと、全然そういうわけではなく、むしろ微生物のおかげでヒトや地球の環境の恒常性が保たれています。テレビなどではわかりやすく「善玉菌」、「悪玉菌」と呼ばれていますが、多くの専門家はおそらくそのように分けて考えていません。要するに善も悪も含む多様性を持つのが社会であって、重要なのはそのバランスです。
日本では古くから発酵食品などを通して、細菌や菌類の重要さを理解し上手に付き合ってきました。腸内細菌などの微生物群を扱う研究も昔から進んでいました。しかし多くの細菌は環境中から採ってくると実験室では培養できず、どんな細菌がどのぐらいいるのか調べようがありませんでした。そこで、培養するという過程を経ずに、採った試料に含まれるすべてのDNAを解読してしまおうというのがメタゲノム解析です。つまり、ある生物種だけのゲノムではなく、微生物集団のゲノムがごちゃ混ぜになった状態で丸ごと解析します。
世界に先駆けた腸内メタゲノム解析
メタゲノム解析が日本で始まったのは2004年で、僕もその研究グループに参加していました。きっかけとなったのは、ヒトゲノム解読で力を発揮したクレイグ・ベンターがその年に発表した論文でした。「ヒトゲノムの次はメタゲノムの時代だ」と言って、まだ次世代型DNAシーケンサーが珍しかった時代に海洋細菌群から120万個もの新規遺伝子を発見したのです。これに衝撃を受けて、日本ではもともと進んでいた腸内細菌の解析をメタゲノムでやってみようということで、主に細菌のゲノムを解析してきた4人の研究者が立ち上がったのです。
3年がかりで日本人13人の腸内細菌群のメタゲノム解析結果を発表しました。当時としては大量かつ高精度のデータということで海外でも話題になり、翌2008年には米国で約120億円、欧州で約30億円の大規模ヒトメタゲノムプロジェクトが始まりました。一方、日本では研究予算がつかなかったので、個別研究しか進みませんでした。その間、僕は開発したメタゲノム解析手法を、土壌や温泉水など他の環境に応用し、微生物がどのように仲間を作るのか、なぜ安定しているのか、などを研究してきました。また、企業との共同研究も進めており、乳酸菌飲料メーカーと赤ん坊の腸内細菌がどのように発達するのか、その鍵となる物質は何なのか、などの研究をしました。
大きな変化を乗り越える仕組み
コンビニで買ったおにぎりを公園で食べるときに、包装のビニールが落ちたら拾いますよね。でも、ごはん粒だったら、虫や微生物が食べてくれると思って拾わないという人は多いでしょう。自然環境は多少の変化があっても元に戻ると思われています。メタゲノム解析が可能になって、そういった直感の正しさが検証できるようになりました。それでは、農薬をまいた後の農地の微生物群集は元に戻るでしょうか。
まず、溶媒であるメタノールだけを加えた土の微生物がどう変化するかを調べました。解析結果を目にして、衝撃を受けました。1 週目でメタノールを分解する菌がドーンと増えて、3週目ぐらいにはもうほとんど元に戻ってしまう。およそ3か月で完全に元に戻りました。嬉しくて色々な学会で発表したら、これもまた衝撃だったのですが「そんなの当たり前だろう」とお叱りを受けました。確かに、ある餌を加えたときに、その餌を食べる菌が殖えるのは当然かもしれません。しかし餌が無くなったとき、その菌は絶滅するのではなく、ちゃんと元の状態に戻るんです。これは、なにか物理的な安定点のようなものがあるのではないかと思いました。つまり、窪みの中にボールが転がっていて、多少動かしてもまた窪みの底に転がってくるような、ある一定の状態に戻すような仕組みがあるのだろうと思いました。
そこで、モデルを作りコンピュータシミュレーションを試みました。結果は今まとめているところですが、ふだん何もしていないように見える細菌が重要な役割を担っているようです。そのような細菌は自然環境中の細菌の9割に上ります。一見無駄に感じられるような存在でも、集団が大きな環境変化に対応し安定して存続するためには必要だということです。微生物を研究している立場から人間の社会を見ると、今の世の中は変化が速いので、多様性を認める社会のほうが頑健なのだろうと思いますね。
シミュレーションとデータベース開発


シミュレーションは、それ自体が目的ではなく、あくまでも道具として使うべきものです。観察した結果の裏にどのような働きがあるのかを推測するには役に立ちます。いま目指しているのは、抗生物質を飲んだ後の腸内や、農薬をまいた後の農地の細菌群の代謝ネットワークの動きを再現することです。どういう物質をいつ加えれば早く回復するかといった予測を、現実の問題に対するヒントとして役立てたいと考えています。
実は、生物学のシミュレーションはかなり不確かなものです。生物の世界はそもそもダイナミクスがわかっていないことがほとんどなので、シミュレーションは仮説に基づくものになってしまいます。多数作業仮説によりシミュレーション精度を向上させていくのですが、それを実現するためには、先人が築いてきた膨大な知識を体系的に記述することが重要だと考えています。ですから、データベースの開発にも力を入れています。
開発しているデータベースは、これまで色々な形で記述されてきた微生物に関する知識をかき集めて、セマンティックウェブ技術により統合しています。ゲノムデータの本体は、塩基配列のATGCという4文字が並ぶデータです。このようなデータに、どういう環境から微生物群を採ってきたかというデータを付与することによって、応用範囲が一挙に広がるのがメタゲノムデータの面白いところです。世界中から発表される膨大なメタゲノムデータを全てデータベース化することで、例えば、どのような環境でどのような細菌群集が安定的に存在し得るのか、などを人工知能により見出す事が可能となりつつあります。微生物もゲノムも、幅広い分野の基礎になるものですから、この微生物統合データベースの開発を続けていきたいと考えています。
研究を志す人へのメッセージ
僕らのような研究は50年後の社会を想像して、それを実現するための研究に取り組むことが重要だと考えていて、すぐに実用化可能な研究にのみ注力すべきではないと思っています。学生にも「50年後の未来を描け」という課題をよく出します。僕の想像する50年後の社会ですが、今のようなハイコストな都会は消失すると思っています。買い物も仕事も、田んぼのあぜ道とか空気のいいところでやれば良い。そうなるとローコストな地方が俄然魅力的な地域となる。人工知能も台頭するでしょうから、これからは人工知能にはできないこと、例えば問題を発見する能力がますます大切になるでしょう。そのために学生には、自分の研究課題以外も広く見渡して、幅広い関心を持ってくれることを期待しています。楽しくやりましょう!
聞き手:リサーチ・アドミニストレーター室 伊東 真知子
写真撮影:リサーチ・アドミニストレーター室 来栖 光彦
2016年10月7日