


川本准教授が取り組む研究は幅広い。哺乳類を専門としつつ、31のバイオリソースを収集・保存・提供するプロジェクトの窓口を担当し、モデル生物だけではなく、自然界における「生物多様性情報」を集めようという国際ネットワークGBIF(地球規模生物多様性情報機構)の日本ノードとしても活動する。さらに2017年度からは新しい枠組みの下で、医療とモデル生物の研究を橋渡しようというチャレンジも始まった。ゲノム時代の生物学をどうしたらより加速でき、より社会に貢献でき、より新しい展開をもたらすことができるのか──そんな強い関心から1つ1つのプロジェクトを駆動する、国立遺伝学研究所 系統生物研究センターの川本祥子准教授に聞いた。
Profile
博士(理学)(大阪大学)。日本のバイオリソースを統合する「ナショナルバイオリソースプロジェクト」を担当するかたわら、遺伝医療を中心とする遺伝資源情報のデータベースを社会に役立てる研究を推進する。専門はゲノム生物学、人類遺伝学、生命・健康・医療情報学。ライフサイエンス統合データベースセンター 准教授(兼務)、2017年より日本バイオインフォマティクス学会理事。
データベースの開発こそ重要である


学生時代、分子生物学で研究の道を歩み始めたという川本准教授。「ちょうどゲノムが始まる時期だったので、数千、数万といった単位の遺伝子を見ることで生物を語るという視点になってしまった(笑)」と振り返る。ご周知のように、現在では爆発的な量のヒトゲノム情報が産出され、またショウジョウバエをはじめモデル生物のゲノム情報も大量に閲覧することができる。「遺伝子の機能を解明するためには、異なる生物の間で比較してどこが同じでどこが違うのか、きちんと写像することはすごく重要」と川本准教授。つまり、大量に読み出されたデータから、生物学的に意義のある事実を、まだ人間が十分読み出せていない可能性があるのだ。
川本准教授はマウス、イネといった各種モデル生物のバイオリソースを収集・保存・提供する「ナショナルバイオリソースプロジェクト(NBRP)」を、昨年度から引き継ぐ。しかしこのデータベースでは、遺伝子の種=横のつながりを利活用できないところに課題を感じているのだそうだ。「たとえば植物ゲノムを育種に関連して見るならば、稲・小麦・大麦という単子葉の植物の間で、どの遺伝子が進化的に共通で、どの遺伝子は違うのか?そのような注釈がきちんとついていないと、仮に1つの種で育種が成功しても、それを他の種にどう展開したらよいかが予見できないわけです。」
つながらない原因は、生物学の論文そのものの中にもある。NBRPのリソースを使った研究成果論文の収集も行っている川本准教授は言う。「計算的にアプローチするためには、過去に研究者達が生みだした知見を比較可能な形で集める必要がある。」ところが論文には、著者である研究者が大事だと思っているポイントが定性的に記述されているだけで、フェノタイプ(表現型)を記述するある程度網羅的で研究者共通の基準があるわけではない。「遺伝学はジェノタイプ(遺伝子型)とフェノタイプでできているのに、一方の軸であるフェノタイプを誰もが同じ意味合いで見ることができないのです。」
ヒトの希少疾患とショウジョウバエをつなぐ
しかし、「ずっとやって来たし、大事だと思っている」というデータベースの研究を、川本准教授はいったん離れたことがある。「どんなにデータベースが賢くても、研究に、社会に、どう使ってもらうのか?」という問題意識からだ。遺伝カウンセラーとして遺伝医療の研究に取り組む中から「ショウジョウバエのようなモデル生物を、ヒトの希少疾患の解明に使おう」というアイデアに出会い、「元々哺乳類の疾患モデルに関わるテーマに関心があったので、何か役に立つことができないか」と考えたという。次世代シーケンサーで希少疾患を調べると、世界で数例しかないような遺伝子の変化が見つかることがあるのだそうだ。何万人もがかかる病気なら他の患者さんの治療情報が獲得できるが、希少疾患だと同じ変化を持つ人を探すのは難しい。「これまで疾患モデルといえばマウスが代表的でしたが、比較的費用のかかるモデル生物なので、数多くの実験を行うことができません。そこでもっと世代時間の短いゼブラフィッシュやショウジョウバエを使って研究することで、解明を加速しようというわけです。」希少疾患だけでなく、診断のつかない病態への効果も期待されているそうだ。「医療の現場で医師が患者さんに対して、論文を見せながら、ショウジョウバエでの知見を説明するといった光景が、これからますます現実的になってくるのではないでしょうか。」
AMEDと連携して医療とモデル生物の研究者をつなぐ


2017年の11月から、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の下で、国立遺伝学研究所を代表機関とする「モデル生物研究コーディネーティングネットワークによる希少・未診断疾患の病因遺伝子変異候補の機能解析研究(J-RDMM)」がスタートした。ひとことで言うと「モデル生物により疾患原因を究明するためのプロジェクト」である。長くモデル生物の遺伝資源事業とデータベース開発で分野に貢献してきた遺伝研の強みが発揮できるこの事業に、川本准教授は中心的に取り組む1人だ。
「全国のモデル生物研究者に呼びかけて、難治性疾患や希少疾患の研究への参加登録をしていただき、臨床の研究者とマッチングします。遺伝性疾患が専門の臨床の医師は、患者さんの症状に応じて、“どの時期どの組織を見ればいいか”をよく分かっておられますので、原因と推定される遺伝子の種類に応じて、解析してほしいモデル生物への要望を上げていただく。一方、モデル生物の研究者には自分が研究対象とする生命現象に応じて、原因遺伝子の効果的な解析方法を提案してもらいます。このようにして医療とモデル生物の研究者から成るグループを、今年4月から作り始めて、現在までに約50グループが立ち上がりました。50の症例に対して1年間で何らかの形で結果を出そうという計画です。」
さらに川本准教授は、遺伝臨床の向こうにも、多くの対象者を見る。「みなさんも自分の健康診断結果として、明日にも何千もの情報を受け取るかもしれません。その時にはやはり統合的に生命システムを見て、理解できる基盤技術があれば……と思うんです。それへの一歩としても、疾患から具体的な生物へいろいろつなげていけるバイオリソースの仕事には、興味が尽きません。」
やはり遺伝学は大事である


このような仕事に奔走するなか、今、遺伝研の環境の中で、川本准教授がひしひしと感じることは「やはり遺伝学は大事だということ」なのだそうだ。「遺伝情報とはもはや1つ1つの遺伝子を指すものではなく、むしろゲノムから派生するメタボロームやオミックス情報等をすべて含んだ統合的なものであり、そのゲノムと相互作用するもの~環境要因までを統合的に解析・理解する遺伝学の知識がないと、実験をするにしても結果を出すのは難しい」という。
川本准教授が大学時代から親しむ、生命科学と情報科学が融合する「バイオインフォマティックス」という分野は、近年飛躍的に進歩し、数多くの生物の全ゲノムが解読され、また誰もがそのようなデータにアクセスしたりブラウズしたりできるようにもなった。川本准教授は言う──「だからこそバイオインフォマティックスは、これからもっと研究施設や研究者をつないで、実験からの知識を計算によって発見的に活用することを通じて、遺伝学に貢献しなければなりません。」
聞き手:情報・システム研究機構 池谷 瑠絵
写真撮影:リサーチ・アドミニストレーター室 来栖 光彦
2018年9月