


DNAやタンパク質の配列情報をもとに、生物進化をひも解いていく学問が分子進化学だ。多様な脊椎動物のDNA情報解析を用いて、発生を中心とする生命現象の成り立ちを調べてきた工樂樹洋教授は、「分子進化学は、生命科学全体において欠かせない重要なツールとなっている」と語る。
Profile
1999年 京都大学理学部卒業。2005年 京都大学大学院にて博士(理学)取得後、理化学研究所にて研究員。2007年 コンスタンツ大学(ドイツ)教員。2012年 理化学研究所CDBユニットリーダー、2019年 同研究所BDRチームリーダー。2021年 4月より国立遺伝学研究所(遺伝研)教授。
脊椎動物を俯瞰するうえで欠かせないサメ研究


遺伝研で行いたい研究として、2つの方向を考えています。1つは、ゲノム情報がまだあまり得られていない生物群も解析に取り込み、偏りのない比較をできるようにすること。もう1つは、比較を行った後に、際立つゲノムの変化を見つけ、その生物「らしさ」にどう寄与しているかを突き止める研究を行うこと。具体的な研究を例にとって紹介しましょう。2018年に私が発表したサメの研究です。
脊椎動物のおもな系統の中で、詳細なゲノム情報が極端に乏しいグループが2つありました。軟骨魚類と爬虫類です。軟骨魚類とはサメ類やエイ類などで、私の研究室はイヌザメ、トラザメ、ジンベエザメの3種についてゲノムを解析しました。サメ類のゲノム解析が遅れていた理由の1つには、そのゲノムサイズが非常に大きく、解析が技術的に難しかったことが挙げられますが、私たちは技術的な検討を重ね、当時世界で誰も到達できていなかった高い完成度の解析を実現しました。徹頭徹尾一つの研究室の中で完結させた稀有なゲノム解析といえると思います。
読み取ったゲノム情報を利用し、サメ類「らしさ」に多様な角度から切り込みました。食欲、成長、繁殖などを制御するホルモンを作る遺伝子を調べ、サメ特有の遺伝子を見つけるとともに、ヒトをはじめとする情報の多い生物の、多様なホルモンのレパートリーがどう確立されたのかを明らかにしました。


視覚をつかさどるオプシン遺伝子の種類についても調べ、トラザメは色覚を持たない可能性があることがわかりました。今は浅瀬に生息していますが、その祖先は深海に定住していた可能性が示唆されたのです。また、ジンベエザメのオプシン遺伝子は、深い海へも届く波長の光を吸収しやすくなっていることを明らかにしました。この深海の生態についての知見は、ゲノム配列からタンパク質を合成するという人工的な実験系により、生体を犠牲にすることなく得られました。
遺伝研は、深海として知られる駿河湾にほど近いところに位置していますが、この遺伝研でサメの研究を今後も発展させていきたいと考えています。脊椎動物の中で独特の系統的位置を占めながら、分子レベルの研究がほとんど行われていなかった軟骨魚類の解析から、約5億年前の脊椎動物初期の進化のプロセスを明らかにするだけでなく、海の中の守るべき生態系のありさまをも探っていきたいと思っています。
ここで紹介したサメの研究は、分子レベルで比較するための土台となる情報の整備と生命現象の解明という、最初に述べた2つの方向性が両方含まれている研究といっていいでしょう。私の研究手法の特徴として、もう1つ強調しておきたいことがあります。それは、分子進化学によって他の研究分野をつないでいくやり方です。どういうことか、私のキャリアを紹介するなかで示したいと思います。
分子進化学との出会い
私が分子進化学と初めて出会ったのは、まだ受験生だった頃。ちょうど大学入試センター試験の1週間前のことでした。本屋さんでたまたま見つけた書籍『分子進化学への招待』に引き込まれ、一気に読み進めました。宮田隆 京都大学教授(当時。現・京都大学名誉教授)執筆によるこの本には、次のようなことが書かれていたのです──これまでの進化の研究は、形態など表面的な現象の比較にとらわれがちで、主観的なものになりやすかった。
しかし分子進化学によって、進化は初めて定量的に、そして客観的に研究できるようになる──。
偶然にも宮田教授のいる京都大学に進学することになり、機会があるたびに宮田教授の講演を聞きに行ったりしていました。学部の卒業研究は迷わず宮田研究室を選び、分子進化学の研究方法を学ぶことになったのです。
分子進化学では、その生物種のDNAやタンパク質の配列をもとに系統樹を作成し、進化の道筋を推定します。具体的には、多様な生物種同士で配列を比較して、系統樹を作成することが必要になります。膨大な計算が必要になるので、ときに自分でプログラムを書きつつ、大規模解析に特化したコンピュータを用いて行います。私は宮田研究室で、コンピュータを使用して配列を比較し、注目する生物群が分岐した年代(時間)を計算したり、系統樹を作成したりといった、分子進化学の解析手法を基礎から習得することができました。
発生学の研究室に飛び込む


私が大学院生の時代には、特に動物のゲノム配列がまだあまり得られていませんでした。注目する生物の遺伝子断片を自分でクローニングする実験なども時には行いましたが、ほとんどの時間はコンピュータに向かってATGCからなるDNAの塩基配列を眺めてはその解析を続けていました。私はそのうち、より多くの研究者が経験している生物学、つまり、実際に生物を扱い、仮説に基づく実験によって解析を行う生物学についても学んでおくべきではないだろうかと感じるようになりました。
そこで私は、博士課程では発生学の研究を行っている研究室に加わることを決意し、理研CDB(理化学研究所発生・再生科学総合研究センター)の倉谷滋リーダーの研究室で研究を行いました。倉谷研究室は比較発生学、特にEvoDevo(エボデボ、「進化発生学」を意味する)を専門としています。私はここでスッポンを用いて亀の甲羅の進化について調べ、このテーマで博士号を取得しました。
当時はまだ、ゲノムの進化を念頭に置いたうえで発生を制御する遺伝子の機能変化を探る、というアプローチはさほど普及していませんでした。先に分子進化学に親しんだ私には、視界が開けたような感覚があり、そのことに気がついたとき、「発生学と分子進化学をつなぐ」こと、つまり発生学に分子進化学のアプローチを導入することで、私なりの役割を果たせるのではないかと思いつきました。
倉谷研で私は、研究室の他のメンバーの研究にも関わる場面が多くありました。自分の得意なことを活かして、どのようにその問いを解決したらよいのか、プロジェクト全体を前進させるのに今何が求められているのか、そういったことをよく考えるようになりました。このときの経験は、自分を大いに鍛えることになり、また、その後の私の研究スタイルの基本ともなりました。
倉谷研で鍛えられたことはもう1つあります。倉谷先生は私が学生の頃から、「どうしたら、あの研究者に勝てると思う?」といった議論をしばしば持ちかけてくださいました。それは、一人の研究者としてこれからやっていけるかということを日々試されているようなものでした。このような体験を通して、私の研究者としてのあり方の土台も形成されていったと思っています。
授業の準備で明け暮れたドイツ時代


このように海外で自分の着想で研究を進められるポジションにつけたのですが、最初の頃は授業の準備だけで時間が過ぎました。私が担当したのは、幸い英語で行うことのできる授業でした。語学は好きで、英語の訓練はいろいろしたつもりでしたが、そうはいっても授業をするとなるとやはり簡単ではありません。そもそも日本語でも授業を行う経験を積んでいませんでしたから。
なんとか落ち着いて物事を考えられるようになったのは2年以上経ってからでした。私のところにPh.D.コースの学生も何人か来てくれるようになり、また、学生アルバイトが雇えるようになり、ようやく研究に力を注げるようになりました。
当時、伝統的な実験動物以外の生物種を対象とするゲノム解析が盛んになってきていたのですが、それに乗じて、ヤツメウナギの国際ゲノムコンソーシアムに途中から加わりました。そして、最終的に出版された論文の大半の図を作るという、全体の方向性に関わることのできる経験も積むことができました。その経験を通して、世界のゲノム解析の流れを感じることができたのはもちろん、自身の研究に活かすこともできました。コンソーシアムで整備した配列情報を用いることにより、ヤツメウナギまでも比較の対象に加え、脊椎動物の発生を制御する遺伝子レパートリーの変遷を調べるといった研究をおもに進めたのです。
ヒトや実験動物だけでは脊椎動物の多様性の一部しかカバーできません。ヤツメウナギやサメをはじめとする軟骨魚類の情報が加わることで、脊椎動物の祖先が持っていた遺伝子セットに迫ることができ、それがわかってはじめて、ヒトや実験動物へと至る系統でその後に起きた変化を伺い知ることができるようになるのです。一連の研究の結果、動物の進化の過程でずっと保持されている遺伝子がある一方で、脊椎動物のおもな系統が枝分かれしたあとに消えていった遺伝子も多数あるということがわかってきました。
日本でデータ生産の現場につく
コンスタンツ大学での4年目頃から、次のポジションを探し始めました。ここでは特に時代の流れを意識しました。それまでは誰かが整えたゲノム情報を解析に利用していましたが、配列のつながりが不十分であることが多く、より精度の高い解析を行うには、画期的な進歩を遂げていたDNAの塩基配列解読技術とその運用ノウハウに自身で精通する必要があると考えたのです。その結果、最先端の技術を活用する部門が立ち上がりつつあり、リーダーの募集をしていた理研CDBに採用されました。そこで、5年間のドイツ生活を終え、日本に身を移すことにしました。
理研のそのポジションは、所内の研究者の求めに応じてNGS(次世代シークエンサー)解析を支援するのが主な役目でした。かつて過ごした研究所でしたが、まったく違う立場に置かれ、自分の研究は二の次で、まずは躍進する新しい技術を学び取ることから始めました。9年間、ゲノム配列の解読から遺伝子発現のプロファイリングまで、さまざまな情報解析について豊富な経験を積むことができました。周囲には発生学のさまざまな分野の研究者が在籍していましたが、数多くの連携研究を通して、DNA情報解析の支援という役割が果たせるよう努めました。博士課程時代に発生学の研究室で異分野のアプローチを実践していた経験を、さらに広い範囲に拡大して行っているイメージで進めていました。去を調べる学問と思われているかもしれませんが、生物がどういう経緯で今の姿になったのか、そして、生態系を構成する他の生物とどう違うのかに迫る学問、言い換えれば、生物多様性の「今」を教えてくれる学問でもあります。
ところが最近になって強く感じることがあります。大規模な生命情報解析の技術はずいぶん普及してきて、それを行うことのできる人が増えてきました。しかし、分子進化学の概念を理解したうえで解析を行うスキルをもつ人材は不足しているということです。生命科学のさまざまな分野で、多様な生物種を比較対象に加えることができるようになり、進化学の理解にもとづいた解釈は以前よりも一層頻繁に求められるようになっているにもかかわらずです。
遺伝研で新しい趣向の分子進化学を


分子進化学の研究室を立ち上げ、若い人たちを指南していくのは、それを一番の拠り所として研究を行ってきた者の責務だと私は考えるようになりました。そうした思いで遺伝研にやってきたのです。現代において分子進化学は、それが一つの学問分野というだけでなく、生命科学の研究者の誰もが利用する価値のある一つのツールでもあると感じています。冒頭で紹介したサメの研究でも、分子進化学の解析手法が発生学や比較内分泌学、生態学に関わる発見に活かされました。
際立つ表現型の進化を起こした生物には、例えば哺乳類なのに海で暮らすクジラ、甲羅をもつようになったカメなど、興味深いものはたくさんあります。これらに限らず、ゲノムが生物ごとの特徴をどう決めているかを、多様な生物を視野に入れ、ゲノム全体を俯瞰しながら突き止めていきたいと思います。進化学は過去を調べる学問と思われているかもしれませんが、生物がどういう経緯で今の姿になったのか、そして、生態系を構成する他の生物とどう違うのかに迫る学問、言い換えれば、生物多様性の「今」を教えてくれる学問でもあります。
研究の手法として、もう一つ着目しているのは細胞レベルでの解析です。技術が進み、ゲノム情報がどのように発現していくかを調べるオミクス情報取得を細胞単位で行うことが世界中で活発に行われるようになっています。かつて分子進化の中立説において、遺伝子が機能を果たすうえでの機能的制約という考えがカギであったように、細胞活動を実現するための機能的制約もあるはずです。しかし我々の知識は、短寿命でゲノムの小さな生物に偏っているのが現状です。オミクス情報に分子進化学のアプローチを適用すれば、ゲノムサイズの決定要因といった、まだ手掛かりのほとんどない問いに迫っていけるのではないかと考えています。モデル生物だけでなく、自然界のさまざまな生物を比較し、分子進化学のアプローチによって探究することが大切でしょう。
若い人たちへのメッセージ


研究対象を狭く絞らないことは私のモットーです。いろいろな研究者がそれぞれテーマを絞って集中的に研究されている。そうすると研究分野と研究分野との間に隙間ができる。いつもアンテナを張っておき、その間を私の得意なアプローチでつなぎたいと思うのです。分野と分野、要素と要素をつなぐことこそが、科学を前進させる大事なプロセスであると感じており、私が特に情熱を注いできたことです。
このように分子進化学には、いろいろな分野をつなぐ役割があると思うのですが、そのためには広い視野を持つことが大事だと考えます。特定の分野に偏ったり、逆に何かの分野を排除したりしないという思いを込めて、研究室名を「分子生命史」としました。複雑な生命の成り立ちを分子レベルで解明するにあたり、すべての研究分野の手法や知見を取り入れてこれに挑むということです。私の研究室に来てくださる方には、専門分野の素養はもちろんですが、分野を超えた視野の養い方やそのための人的ネットワークの広げ方などを、ここで学んでいってほしいと思います。
また、研究者になるならば、創造活動のためのコミュニケーションスキルは養っておいてほしいと思います。英語はもちろん、他者との対話を通して研究を深めていくことのできる能力が大切です。
もう一つ大事なこととして伝えたいのは、研究者である前に一人の人間であることを忘れないでいてほしいということです。研究以外の時間も充実させてください。きっと、良い研究につながるでしょう。
私自身は、野球とサッカーを観ることとすることが好きなのですが、研究においてもチームプレーには特別な思いがあり、チームプレーで何かを成し遂げたときが、いちばん喜びを感じます。自分の想像を超えたことが達成できるからです。私の研究室にいらっしゃる方とも、これから良いチームを作っていきたいと考えています。
聞き手:サイエンスライター 藤川 良子
写真撮影:遺伝研ORD 来栖 光彦
2021年7月