


染色体から環状 DNA が形成されていく仕組みの研究を通して、ゲノムが変化する機序を解き明かしていこうとする佐々木准教授。研究も私生活も大切にするその研究スタイルは、海外での大学院生活によって築かれたものだった。
Profile
2001年 大阪大学工学部応用生物工学科卒業。2001~2004年 大阪大学大学院工学研究科応用生物工学専攻博士課程前期 修了 修士(工学)。この間に交換留学生として、米国University of Washingtonに在籍。2004~2012年 Weill Cornell Graduate School of Medical Sciences, Molecular Biology Program 修了 Ph.D.(分子生物学)。2012~2014年 国立遺伝学研究所 細胞遺伝研究室(日本学術振興会特別研究員)。2015~2023年 東京大学定量生命科学研究所(分子細胞生物学研究所) ゲノム再生研究分野 助教、講師を経て、2023年より現職。
修士の交換留学生として米国へ
阪大学の工学部応用生物工学科で学んでいた私にとって、将来は修士課程に進学し、その後は工学系の企業に就職するという進路を思い描くのは、ごく自然なことでした。周囲の仲間の多くもこのようなキャリア形成を目指していましたし、身近な知り合いや親戚の中に基礎研究者はおらず、アカデミックの世界に進むということはまったく考えていませんでした。そんな私でしたが、修士課程の途中で大きく舵を切り、基礎研究へと進むことにしました。私の気持ちが変わったのは、修士の1年間を過ごした米国の大学での研究生活が、とても楽しかったからにほかなりません。
米国で学ぶことにしたのは、「就職をしたら長期の留学などするのは難しいにちがいない。就職前にそういう経験を積んでみたい」という思いがあったからです。そこで、何か方法はないかと探してみたところ、修士でも応募可能な交換留学制度が米国で学ぶことにしたのは、「就職をしたら長期の留学などするのは難しいにちがいない。就職前にそういう経験を積んでみたい」という思いがあったからです。そこで、何か方法はないかと探してみたところ、修士でも応募可能な交換留学制度があることを知りました。修士課程で留学を希望する人はあまりいないようで、応募したところ採用が決まりました。
今から思えば、海外での学生生活に対するあこがれは、子どものころからあったのかもしれません。高校3年生の夏休みに1か月間オーストラリアにホームステイをしたことがありました。語学の勉強にと中学時代の英語の先生が誘ってくださったのですが、楽しく充実した1か月でした
基礎研究はこんなにも楽しい


修士での留学先は、米国のシアトルにあるワシントン大学のRaymond Monnat教授の研究室に決めました。留学先を決めるにあたっては、生命科学系で修士課程の学生を受け入れてくれること、授業だけではなく研究室で研究生活を送れること、高い研究レベルであることを条件に、交換留学の協定校の中から大学を探しました。それから、その大学の先生に「受け入れてくれないか」と申し入れたところ、Monnat教授から「来てもよい」という返事をいただいたのでした。
1年間、思い切り楽しもうという期待に満ちた気持ちで日本を出発したのを覚えています。そしてシアトルでの研究生活は、その私の期待を裏切ることがなかったどころか、期待以上に私を夢中にさせるものでした。
Monnat研究室は、ゲノムサイエンス学科に所属し、ウェルナー症候群を研究テーマにしていました。ウェルナー症候群は早老症とも呼ばれ、思春期を過ぎた頃から老化が早まり、寿命も短くなるという病気です。原因遺伝子は突き止められているのですが、どうして疾患が起こるかのメカニズムはよくわかっておらず、Monnat研究室ではこの原因遺伝子の働きを詳しく解析していました。
私は希望通り研究室に配属され、研究に参加することができました。初めて学ぶ手法ばかりでしたが、皆親切に教えてくれました。研究室は非常にオープンな雰囲気で、研究室の目標に向かってメンバーが皆で進んで行こうとしているのが私にも伝わってきました。教授は、研究が今どういう状況であるかということを率直に話してくれます。例えば、研究費を獲得するためにここまで研究を進めたいといったことまで話してくれるのです。メンバー一人一人にプロジェクトがあるのですが、各自が自分のプロジェクトを進めていくことで、ラボ全体の研究目標にチームとして近づいていくのだということが実感できました。
また、自分の研究成果がチームの目標達成に役立っているということ、一人一人が信頼され、頼りにされているということも実感できました。メンバーが皆それぞれの研究について興味をもって進めている雰囲気が大好きでした。こうしたなかで、「研究って楽しいんだ」と気づくのに長くはかかりませんでした。研究室間に垣根がなく、交流できる点も魅力的でした。
さらに、教授をはじめ、学生もポスドクも、研究は研究として一所懸命やりつつ、一方で、自分の個人的な生活はしっかり楽しむという姿も、私には非常に新鮮であり、魅力的でした。ラテン系のダンスの一種であるサルサダンスが趣味のポスドクが一人いたのですが、彼女の影響で、私を含めて研究室の数人が週末ごとにサルサダンスを踊りに出かけたのを懐かしく思い出します。
米国の大学の博士課程に応募する


生物学の基礎研究の楽しさを知ってからの私は、迷わず博士課程へ進学することに決めました。博士課程の大学院をどこにするか、日本か米国かと考えて、米国の大学院に応募することにしました。シアトルでの経験を通じて、米国の大学の研究環境が自分には合っていると感じたからなのですが、米国では博士課程に進むと、授業料は免除で生活費も支給してもらえるということも重要な点でした。当時の日本にはそのような制度はありませんでしたから。
交換留学の期間が終わった後も、数か月間シアトルに滞在しながら大学院に応募しました。推薦文は日本の大学院の教授と、シアトルの教授にお願いしました。米国では、「私たちの大学にぜひ来てください」と大学側が学生に売り込むことには驚きました。選考の過程で候補者は一斉に大学に呼ばれてインタビューを受けるのですが、飛行機のチケットも大学が用意してくれたので驚きました。私は米国に滞在していましたが、国外からインタビューを受けにやってくる学生にも飛行機のチケットは用意されていたようです。
私は、15校くらいに願書を出しました。ウェルナー症候群の研究を通して、生物が健康に生きるためにはゲノムが安定的に維持されることが大切だと知り、「ゲノムの安定性」に興味をもったので、それが研究できる大学を選びました。ゲノムDNAは細胞の核に含まれていますが、DNAが損傷を受ける可能性は常に存在します。塩基が変化したり、DNA鎖が切断されたりといった損傷が見つかると、それを修復する仕組みが細胞には備わっています。この修復機構の働きによって、ゲノムの安定性は維持されているのです。一方、この働きが損なわれると、病気が引き起こされます。修復機構の詳細は、まだわからないことが多く残されています。
応募した15校のほとんどは不合格だったのですが、幸いにも、第一希望のWeill Cornell Graduate School of Medical Sciencesに合格することができました。ここは、コーネル大学の医学部とメモリアル・スローン・ケタリングがんセンターの研究所が共同で提供しているPh.D.プログラムで、世界のトップレベルの研究が行われています。研究室のあるコーネル大学はニューヨークのマンハッタンのど真ん中にあり、大学の建物のすぐ隣にアパートが用意されていました。
研究室を選ぶ
米国の多くの大学では、入学前から研究室を決めておく必要はなく、大学院の1年目は、応募した学部に所属する研究室から興味のある研究室を3つほど選び、それをローテーションで約3か月ずつ回ります。その後に、どこに入るか決めればよいという仕組みになっています。
ゲノムの安定性をテーマに研究している3つの研究室を回った後、私は、ScottKeeney教授の研究室に入ることに決めました。3つの研究室の研究レベルはどれも高いものでしたが、最終的な決断で重視したのは、ボスの人柄と研究室のメンバーの話しやすさ、そして皆がどれくらい楽しそうにしているかといった点でした。「学生生活がハッピーに終わるかどうかは、ボスの人柄や指導力で決まる」と私にアドバイスをくれる仲間が多かったのです。
そのアドバイスは正しく、また私の決断も正解でした。Keeney教授は、サイエンスには厳しく、人間にはやさしい、今に至るまで私にとって研究室主宰のロールモデルのような存在です。
Keeney教授は大学院生に対して、最初は頻繁に、しかも非常に丁寧に1対1で直接指導してくれました。学生は生データを見せて、どういうふうに実験をしたかなどを細かく報告します。教授は、学生をトレーニングしつつ、学生がきちんと実験できているかどうかを確認していたのだと思います。こうして信頼関係が築かれた後は、比較的自由に研究を進めさせてくれました。やがて、教授と1対1で話す頻度も減って1か月に1回くらいになりましたが、それでもミーティングの後は、「うわあ、そうなんだ。勉強になった」という気がして、とても興奮したものです。
教授は決して雲の上の存在ではありませんでした。なんでも話すことができるとても身近な存在で、実験の結果がうまくいっているときは冷静に、実験がうまくいかずに落ち込んでいるようなときは、良いところを見つけて励ましてくれる。これが教授でした。
時間の使い方が上手な秘訣は何なのだろう
博士課程では論文を出すという目標があるので、ある程度はプレッシャーのかかる学生生活だろうと当初は想像していました。日本の博士課程ですと、学生は四六時中研究室にいて実験をするような印象がありましたから。ですから最初の頃は私も、土曜日や日曜日にも研究室に行ったりしたのですが、周りをみるとそこまでしている人はいないことに気づきました。
自分の生活をある程度大切にしているのに、きちんと成果(論文)を出している人が多いのです。特にヨーロッパから来た人たちはそうで、時間の使い方が上手だと感じました。そして、どうしてそういうことが可能なのか、それが知りたいといつも思っていました。
その答えの1つは、おそらく、今やることの優先順位が明確になっていて、計画が上手に立てられているのだろうということです。研究室にいる間に、そういう能力がトレーニングされているのだと思います。例えば、論文を書く場合にも、実験が終わったらすぐに取り掛かる人が多かったと思います。何を書くかは、そもそもそれを見据えて日々の実験をしているので、論文は日々検討していることを文章化するだけです。
Keeney研究室では論文を書く場合、教授を含めて研究室の全員に原稿を送り、皆から意見をもらうということを何回か重ねることで、最終的に完成させていきます。その間に英語の修正などもしてもらいます。まさに、研究室から出る論文なのだと感じました。
酵母を使って相同組み換えの実験を行う
Keeney研究室に私は約7年間在籍し、酵母を用いて相同組み換えの研究を行いました。酵母は単細胞生物ですが、ヒトと同じ真核生物であり、遺伝学の実験手法がたくさん開発されているので、多様な実験が可能な生物です。
相同組み換えは、損傷を受けたDNAを相同配列を用いて修復する現象です。卵子や精子を作るときの細胞分裂(減数分裂)では、ゲノム上のさまざまな場所でDNA二本鎖が切断される損傷が生じるのですが、相同組み換えによって、母親由来の染色体と父親由来の相同染色体の間でDNAが交換され、損傷が修復され、同時に配列の多様性がもたらされます。
この相同組み換えは、体細胞の細胞分裂でも起こり、損傷を受けたDNAが修復されます。染色体が複製されて生じた姉妹染色分体の間でDNAが交換され、損傷を受けていないほうのDNAを利用して、正しいDNA配列を復元するのです。修士課程で研究したウェルナー症候群は、この相同組み換えによるDNA修復が障害されて起こる病気でした。
Keeney研究室では、減数分裂での相同組み換えを調べることにより、相同組み換えの詳しい仕組みを明らかにすることを研究テーマにしています。減数分裂の相同組み換えは染色体上のあちこちで起こりますが、起こりやすい場所は決まっていることが知られています。私の博士論文は、この相同組み換えが起こりやすい染色体上の場所をすべて特定し、DNAの塩基配列のレベルで明らかにして、ゲノム地図上に書き込むことです。このような地図を塩基配列のレベルで表したものは、真核生物では初めてでしたので、貴重な研究となりました(*1)。
博士論文のテーマを決めるまでには葛藤があった
相同組み換えのゲノム地図は、貴重な成果として高い評価を得ることができました。しかし、実はこの研究テーマは、最初は別の人のプロジェクトでした。そのポスドクが、家庭の事情で研究室を去らなくてはならなくなり、私が引き継ぐことになったのです。そのときすでに私は3年半ほど別の研究プロジェクトに取り組んできていましたが、成果があがらずにいたので、声をかけてくれたようです。「この地図作成は非常に画期的な技術を使っているので、引き継ぎませんか?」と教授からも相談を受けました。
私がそれまで取り組んでいたのは、相同組み換えに関するある機能を調べるために酵母の変異体を見つけるというスクリーニングプロジェクトでした。毎日同じ実験を繰り返し、20万個にも上る酵母のコロニーを調べ上げた結果、ようやく変異遺伝子が1つ見つかったところでした。ただその遺伝子は予想していたものとまったく異なっており、どのように解析したらよいか途方にくれていたところでもありました。
自分がずっと進めていたプロジェクトには愛着もありましたし、途中で諦めてよいのか、私は悩み、すぐには結論が出せずにいました。結論を引き出してくれたのは、定期的に行う博士号の主査・副査とのミーティングでもらったある先生の一言でした。「僕だったら、これまでのプロジェクトは諦めて、新しいプロジェクトを進めるよ。先につながるようなプロジェクトがあるならば、そうでないプロジェクトに執着する必要なんてないのだから」。
決心がついた私は、地図作成の実験に着手し、博士論文にまとめることができました。ちなみに、私が諦めたほうのプロジェクトは、その後だれも進めていないようです。
この地図を使って、私は私なりに興味のある現象を調べることも行いました。ゲノム中には同じ配列が繰り返される部分があるのですが、このような繰り返し配列での相同組み換えは、エラーが起きやすいことが知られていました。リボソームRNAを作るリボソームDNA(rDNA)は、酵母では150個ほどの遺伝子配列が繰り返されているので、そこでの相同組み換えを詳しく調べてみたのです。すると、他の繰り返し配列と異なり、rDNAでは減数分裂でほとんど相同組み換えが起こらないことがわかりました。この研究が、大学院修了後に日本で行う研究とつながりました。
日本で研究者になり、遺伝子のコピー数が維持される仕組みを調べる


大学院修了後のキャリアは、家族の問題もあり、日本でポスドクの研究職を探すことにしました。遺伝研の小林武彦教授が、酵母のrDNAに着目してゲノムの安定性について研究をされていることを知り、興味を持ちました。小林研究室には知り合いがいたので連絡をとったところ、小林研究室の良さだけでなく、遺伝研の素晴らしい研究環境についても教えてくれたので、ポスドクになりたいと小林教授に申し出ることにしました。日本学術振興会の特別研究員に採用されることを条件に、引き受けてくださいました。3年後に小林教授が東京大学に移られたときにも付いていきましたので、小林研究室には約10年間お世話になりました。
小林研究室では、rDNAの繰り返し配列の数(コピー数)が体細胞でどのように維持されるのかを研究しました。遺伝子のコピー数は、増えすぎたり減りすぎたりすると、細胞が健常に生きることができなくなります。酵母のrDNAの場合、コピー数がたくさん保持されていること(酵母では150)が、細胞を健康に保つ上で重要であることは以前から推測されていました。大学院での研究で、酵母の減数分裂ではrDNAに相同組み換えがほとんど起こらないことがわかったのですが、体細胞分裂ではそれとは異なり、相同組み換えが起きています。酵母のrDNA領域では、DNA複製が途中で停止し、その結果、DNA二本鎖が切断されます。繰り返し配列での相同組み換えは一般的に、遺伝子のコピー数を増減させるなどのエラーを引き起こしやすいのですが、酵母はそのエラーを巧みに利用していました。rDNAのコピー数が減りすぎている場合には、相同組み換えのスイッチをオンにし、コピー数を増やします。しかし、コピー数が正常に戻ったら、相同組み換えのスイッチをオフにして、コピー数が変化しないようにしていたのでした。
この発見に至る前段階の研究として、まずrDNAのコピー数が異常となる酵母の変異体を探し、その変異体を解析することで、コピー数の維持に関与する因子を見つけようと思いました。酵母の遺伝子約6000個のうちの4800個は、それらの遺伝子を欠損させても酵母が生存しています。そのような遺伝子の欠損変異体を用いて、変異体一つ一つについてrDNAのコピー数を調べていきました。すると、CTF4という遺伝子が欠損している変異体では、rDNAのコピー数が2倍に増えていることを発見しました(*2)。Ctf4タンパク質はDNA複製で働いており、ctf4変異体では、複製が阻害された際に生じたDNAの二本鎖切断が相同組み換えによって修復され、それにともなってコピー数が異常に増えてしまっていたのです。一方、野生型ではDNA二本鎖切断を相同組み換えとは異なる別な方法によって修復しているので、コピー数が維持されていたのです(*3)。
rDNAのコピー数がどのように調整されているかの全貌はまだよくわかっていないので、さらなる研究が必要です。
遺伝研で独立し、研究も人生も大切にしていく


小林研究室での研究生活は充実していましたが、いつかは独立して自分の研究室をもちたいと願っていました。数年前からは、いろいろな募集に応募していたのですが、なかなか採用には結びつきませんでした。私の場合、結婚していて保育園に通う子どもがおり、家族と同居したいと考えていたので、自宅から通える職場を選ぶという制約もありました。
そんなときに遺伝研の募集を見つけたのです。東京から通勤するには少し不安もありましたが、研究環境として遺伝研の素晴らしさはよくわかっていたので、通勤の問題は受かってから考えることにして、まずは応募してみようと書類を出したのでした。
幸い採用されて、また、研究室に着く時間や帰宅時間、通勤方法についても対応できることがわかり、安心しました。夫は現在、関東圏の職場で研究職をしているので、夫と二人で協力すれば育児を行っていけます。夫とは、ニューヨークで知り合いました。私の隣の大学に、日本からポスドクとして来て研究をしていました。彼が先に日本に戻ることになり、私はそれより少し遅れて日本に戻りました。
ニューヨークの大学院には、さまざまな国からさまざまなバックグラウンドの人が来ていました。日本では大学院には大学卒業とストレートに入ってくる人が多いと思いますが、海外ではそうではなくて、例えば、企業に就職したけれども、生物の研究がしたくなったとか、1年間テクニシャンとして働いたけど研究者になりたくなったとか、いろいろな人がいました。大事なのは、研究をしたいという強い意志をもっていることだと思います。
私は、朝早くから真夜中まで研究室にいることはできませんが、それも新しい研究スタイルであると許容していただいて、研究室のメンバーとは互いが抱える事情を理解しあうことで協力し、研究を進めていきたいと考えています。メンバーは皆、研究と私生活を両立させながら、研究を楽しんでほしいと願っています。
私の研究室では、メンバーが何でも話し合えるようなオープンな環境を築き、そして大学院生には、私が大学院生のときに受けたような丁寧なトレーニングを行うことを通して、信頼関係を形成していこうと思います。米国で指導を受けたKeeney教授がそうであったように、一つ一つの実験を正しいやり方で行うこと、既存のモデルに惑わされることなく、結果に真摯に向き合うことなどを伝えられればと思っています。
環状DNAが生じる仕組みの解明へ


DNAのコピー数の研究は、小林研究室で使っていた技術を発展させて、これからも続けていきたいと思っています。また、独立したら独自の研究もスタートさせたいと考え、以前から着目していたのが環状DNAの研究です。
真核生物は直鎖状の染色体DNAをもちますが、染色体外環状DNA(環状DNA)は、この染色体の一部が外れて、環状化して細胞核中に存在するものです。環状DNAが蓄積すると、遺伝子のコピー数が増加する原因となります。環状DNAは、がん細胞でよく見られ、がんの原因としても重要なのではないかと考えられています。がん細胞が環状DNAをもつことは半世紀以上前に見つかっていましたが、最近になってこの環状DNAの研究の重要性の認識が高まり、その動態および機能を包括的に理解しようとする動きが世界中で進んでいます。
実は、私がこれまで研究してきた酵母のrDNA領域からも、環状DNAが産生され、細胞の老化を加速させることがわかっています。また、rDNA以外の場所からも、環状DNAが産生されることが知られています。そこで今後は、この環状DNAがどのようなメカニズムで生じるのかを詳細に解明していきたいと思っています。そして、酵母で明らかにした内容をヒト細胞の環状DNAの理解につなげ、環状DNAの機能や染色体の一部が環状DNAとして存在することの利点などを解明し、環状DNAの研究分野を自分なりに開拓していきたいと考えています。


聞き手:サイエンスライター 藤川 良子
写真撮影:遺伝研ORD 来栖 光彦
2023年5月
引用論文等
- *1 A Hierarchical Combination of Factors Shapes the Genome-wide Topography of Yeast Meiotic Recombination Initiation Cell.
2011 Mar 4;144(5):719-731. - *2 More than 10% of yeast genes are related to genome stability and influence cellular senescence via rDNA maintenance
Nucleic Acids Res. 2016 May 19;44 (9):4211-4221. - *3 Ctf4 Prevents Genome Rearrangements by Suppressing DNA Double-Strand Break Formation and Its End Resection at Arrested Replication Forks
Mol Cell. 2017 May 18;66(4):533-545.