色覚の多様性と色覚バリアフリーなプレゼンテーション
 
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第2回 色覚が変化すると、どのように色が見えるのか?

2.5 後天色盲*15

「後天色盲」とは、先天色盲を除くすべての色盲を指している。「先天」とは「生まれつき身に備わっていること」を指し、「後天」とは「生まれてから身に備わること」を意味するが、後天色盲の「後天」の定義はこの意味から離れ、角膜から大脳に至るいずれかの領域の機能低下によって起こった色覚変化のうち、これまで説明してきた先天色盲を除くすべての色盲がここに含まれる。例えば、第3染色体に原因遺伝子がある遺伝性疾患に、青黄色盲の症状を示す常染色体優性遺伝性視神経萎縮 (若年性家族性視神経萎縮) というのがあるが、この疾患の形質は生まれたときから変わらない「先天」であるものの、「後天色盲」に分類されている。

先天色盲が特定の遺伝的背景の人が生まれながらに持つ色覚のタイプであるのに対して、後天色盲は遺伝的背景に関わらず、誰にでも発症する可能性があるものが多いのが特徴と言える。その原因は、角膜、水晶体、硝子体といった中間透光体の着色によるもの、網膜病変によるもの、緑内障によるもの、視神経病変によるもの、大脳性病変によるもの、心因性要因によるものなど様々であるが、何よりもすべての人に関係する問題として、加齢に伴う色覚の変化がある。

A:白内障(水晶体の着色)

図13. ヒト水晶体嚢外摘出核の混濁程度別分光透過率
白内障手術によって摘出された水晶体核部の切片を用いて計測したもの:着色した水晶体は可視光線全域に渡って光の透過性を下げるが,短波長領域では特に低下しているのがわかる.坂本保夫:視覚の科学(1994) 15:198-205 より改変.

加齢による色覚の変化のうちもっとも頻度の高いものは、水晶体に着色が生じる白内障 (cataract) に起因するものである。平成11年の厚生省患者調査によれば、国内の白内障の総患者数は 145.7万人であり、そのうち 65歳以上の患者が 124万人となっている (65歳以上の人口は 2,200 万人なので 5.6%に相当する)。ゆっくり進行し誰にでも起こりうる加齢変化であるので、すべての人が眼科を受診しているわけではないが、このために通院している人が 65歳以上の男女合わせて 20人に 1人以上いることは、白内障の症状を自覚する人が多いことを示している。加齢に伴う水晶体の変化としては、水晶体の厚みの増加、散乱光強度の増強、水晶体核部の着色などが挙げられる。着色した水晶体は一種のフィルターとして機能し、光の透過率を全般に低下させるだけでなく、短波長の光の透過率を特に減少させる(図13)。このため網膜には青い光が到達しにくくなり、短波長領域の色の弁別能力が大きく低下し、見ている世界が段々黄色、茶色、赤みがかってくる。また白濁した水晶体での光の散乱により、視力(形態覚)が低下する(図14)。

図14. 黄昏れの遺伝学の聖地
左:オリジナル画像,右:白内障のシミュレーション.水晶体の着色による青チャンネルの大幅な減少と緑チャンネルの中程度の減少(結果として赤みがかって見える),さらに水晶体での光の散乱による視力(形態の分解能)の低下をPhotoshopでシミュレートした.ちなみに写真は1902 年にメンデル再発見を記念して生地チェコオドラウ郡ヒンツィーチェ村に寄贈された記念碑つきの消防団詰め所(参照).

同じ画家の絵を年代を追って観ることはその画家の視覚の変化を観ることになるが、その中には白内障による色覚変化の影響もしばしば含まれていて興味深い。例えば “睡蓮” の絵を 200点以上残しているクロード・モネ (1840 〜1926) であれば、20歳代の作品から追うことができる。68才 (1908年) のときに視力の低下を自覚したモネは幾人かの眼科医を受診し、1912年に両眼の白内障の診断を受ける。そしてその 11年後の 1923年1月 (82歳) に着色した水晶体を取り除く手術を右眼だけ受けている。視力低下を自覚した数年後から明らかな白内障の影響が作品に出ており、描いた年代を追って「睡蓮」や「日本の橋」を観ていくと、色調が次第に赤みがかっていき、手術を受ける直前に描いた「日本の橋」 (フィラデルフィア美術館所蔵) では真っ赤になっている*16。またモネは手術した年に、白内障のままの左眼と水晶体を取り除いた右眼のどちらか片方だけを使って同じ風景を見た 2枚の絵を描いている (マルモッタン美術館所蔵)。この 2つの絵を比較すると、白内障の眼を用いて描いた絵は青みに欠け、全体的に赤みがかっている* 17

現在の白内障の手術では着色した水晶体の核を超音波で破砕吸引し、そこに樹脂で作られた眼内レンズを挿入するが、白内障の手術を終えた患者さんの多くが空の青さに驚く。75歳の人の水晶体では 400 〜450nm の光の透過率は 0〜 15%まで低下しているが、手術で装着する眼内レンズでは 80〜90%も透過するようになるためである。網膜に到達する光自体が着色した水晶体というフィルターを通してから届くため、白内障における色覚変化は先天色盲のような特定の分光吸収特性を持つ錐体が失われた場合と質的に異なり、黄色や茶色のサングラスをかけて短波長の光を遮断した状態とほぼ同じだと言える。

B:網膜病変や緑内障によるもの

中心性漿液性網脈絡症 (idiopathic central serous choroidopathy)、網膜色素変性症 (pigmentary retinal degeneration)、糖尿病性網膜症 (diabetic retinopathy) などの網膜疾患では、錐体が障害を受け、機能するものの数が減ってゆく。数が多い赤錐体や緑錐体に比べ、青錐体は全体のわずか数%しかないため、網膜障害の初期から影響を受けやすい5)。また、緑内障 (glaucoma) は眼球の内圧 (眼圧 intraocular pressure) が上昇する疾患であるが、大きな神経細胞の方が眼圧の上昇に対して脆弱であり、青錐体系の神経節細胞は赤・緑錐体細胞系の神経節細胞よりも大きいことから、他の錐体細胞も影響を受けるものの、青錐体系は特に障害を受けやすい6)。これらの結果青錐体の機能が大きく低下し、青黄色盲の症状を呈する。

さらに病状が進行すると、緑錐体や赤錐体の機能にも影響が及び、赤緑色盲の症状が加わってくる。つまりその発症機序からして、後天赤緑色盲では先天赤緑色盲と異なり、青黄色盲の症状が合併する。さらに病状が進行すると最終的には全色盲様の症状を示すことになるが、それに先行して黄斑部や硝子体に出血やフィブリンの析出が生じ、それらの収縮に伴う牽引によって網膜剥離などが生じるなど、錐体の機能不全以外にも多くの原因によって視力が大きく低下する。

C:視神経病変によるもの

視神経 (optic nerve) は眼球から間脳の外側膝状体に伸びる軸索の束であるが、この軸索は網膜の神経節細胞に由来する (図1)。視神経病変においては赤緑色盲様 (第2色盲様) の変化をすることが多いと言われているが7)、同時に青黄色盲様の色覚変化も伴っていることが、やはり先天赤緑色盲と異なる特徴と言える。光の波長情報は錐体において 3種類の錐体信号として出力された後、双極細胞、水平細胞、アマクリン細胞によって情報処理され、神経節細胞において赤-緑 と 青-黄 の 2対の反対色チャンネルの情報に変換されて、神経節細胞から視神経を通じて脳へ伝えられる。よって視神経の病変では、この赤緑チャンネルと青黄チャンネルの情報の変化が症状の基盤となっており、病変の大きさによって赤緑色盲様の色覚変化と青黄色盲様の色覚変化が様々な割合で生じることになる。

D:大脳病変によるもの

両側の下部後頭葉に脳梗塞が生じると大脳性色盲 (cerebral achromatopsia) を呈することがある8)。大脳皮質内腹側面に存在する紡錘回を含む領域が障害されると、他の視覚機能は保たれたまま、見ているものすべてがモノクロになってしまう。脳硬塞では大脳症状の発症に伴って急激に見ている世界がモノクロになるという。大脳のその他の領域の障害では、色名と色感覚の結び付けが困難な色失語 (color aphasia) などの症状を呈することも知られている。

E:心因性要因によるもの

学校や家庭生活のストレスに起因した心因性視力障害 (psychogenic visual disorders ) は、小児、児童に多く、視力低下や視野狭窄、色覚の変化などが生じる9) 。成人例ではヒステリーなどの精神症状を伴うこともある。心因性視力障害では、石原表やパネル D-15 テストのような色覚検査を行うと、各種典型的な色盲への分類が不可能な検査結果が生じる。既知の論理で説明できない検査結果となること自体がこの疾患の特徴と言える。他の心因性の諸症状と同様、発達期の女子では男子より頻度が高いとも言われており、また先天赤緑色盲は女子では極めて頻度が低いこととも相まって、学校健診の色覚検査で「異常」を指摘される女子児童の中には、この心因性要因によるものが少なくない。

女子が色覚検査で「異常」を指摘された場合、一般に知られている赤緑色盲の遺伝形式からすれば、母親が保因者で、かつ父親が赤緑色盲であると想像される (例外は第1回1.6節を参照)。もし父親が赤緑色盲でない場合、「この子は私の娘ではないのか?」といった家庭争議の原因となることもある。遺伝学的に説明しにくいこのようなケースでは、むしろ心因性視力障害が強く疑われる。学校の健診ではあくまでも「色盲の疑い」を指摘できるだけであり、色盲の有無や種類の診断は専門の眼科医でないと不可能なので(第1回1.8 節参照)、受診して相談することが強く望まれる。

F:後天色盲の色覚

後天色盲は、いずれの原因においても他の眼症状を伴っており、症状が進行性であったり、増悪、緩解を繰返したり、左右の眼の疾患の進行度の違いから色覚に大きな左右差が生じることがあるなどの特徴を持つ。後天色盲では健康なもう一方の眼との比較や、異常が生じる以前の記憶によって、色覚の変化を本人が認識できることがある。これは一生に渡って色覚が変化することなく、(ヘテロ接合体の女性を除いて) 色覚に左右差が出ない先天色盲とは対照的である*18

後天色盲でもっとも多い、後天青黄色盲の色感覚をまとめると次のようになる。

  • 青の範囲が広く、健康な眼の 青紫〜青〜青緑〜緑〜黄緑 までを青として知覚し、緑の感覚を失う。
  • 黄色は彩度が低下して白っぽく見える。
  • 低明度、低彩度の色は、ほとんど青または無彩色に見える。
  • 「黄色」→「白」、「緑」→「青または黒」、「茶」→「紫または黒」、「紫」→「青、茶、黒」、「青」→「黒」などの色誤認をする。

なお、先天赤緑色盲の人が後天青黄色盲を合併すると、全色盲様の色覚になることが知られている。赤緑色盲の読者であれば、図3 の第3色盲のシミュレーションを見ることで疑似体験できる。

*15 「後天色覚異常」と呼ばれることもあるが,加齢に伴い非常に多くの人に普通に起こる症状を一概に「異常」と規定してよいのか疑問もある.本稿では先天色盲同様に,価値判断を含まない「後天色盲」の用語を用いる.
* 16 日本でも「睡蓮」を年代を追って観ることができる.以下は制作年と所蔵美術館.1898 年:鹿児島市立美術館.1903 年:ブリヂストン美術館.1906年:大原美術館.1907 年:東京富士美術館,ブリヂストン美術館,川村記念美術館,アサヒビール大山崎山荘美術館.1916 年:国立西洋美術館.1917 年:群馬県立近代美術館,アサヒビール大山崎山荘美術館.1918 年:MOA 美術館.1919 年:北九州市立美術館.
* 17 The EYE of the ARTIST(Michael F. Marmor, James G. Ravin 共著,Mosby 出版, 1997, ISBN 0-8151-7244-3)は,著名な芸術家の作品を眼科医の独創的な視点から解析している.モネやカサットの作品における白内障の影響や,ドガやオキーフの眼疾患,エル・グレコやルノワール,ファン・ゴッホの絵画に眼疾患の影響があるか否かなどが論じられており,白内障の手術後にモネが描いたこの2 つの作品も収録されている.
* 18 ヘテロ接合体の女性では片眼のみが色盲になることがある.詳しくは第1回1.6 節を参照されたい.

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細胞工学Vol.21 No.8 2002年8月号[色覚の多様性と色覚バリアフリーなプレゼンテーション]
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