人類遺伝研究部門 佐々木研究室 渡部 聡朗さん

今、分子生物学の分野で最も注目されている研究対象のひとつはRNAである。近年、細胞内に存在する20塩基対程度の長さの小分子RNAが、遺伝子の発現調節など様々な機能をもつことが明らかになってきた。
総合研究大学院大学(総研大)の渡部聡朗さんと国立遺伝学研究所(以下遺伝研)の佐々木裕之教授らのグループは哺乳類で始めて短い機能性RNAを発見し、さらにその機能を明らかにした。また今まで遺伝子の残骸と考えられていた偽遺伝子より内在性siRNAがつくられ、偽遺伝子が働きのある遺伝子を制御するしくみを解明した。この研究成果は、5月22日に英国科学雑誌「Nature」に掲載され、(Nature 453, 539-543 (2008).)4月11日(日本時間)にオンラインで先行公開された。(論文の詳細はこちら

そう、渡部さんは総合研究大学院大学に大学院生として在籍しながら、一流の仕事を成し遂げたのである。では渡部さんとは一体どんな人なのか。研究室に渡部さんを訪ねてみることにした。

新しい生命現象をみつけたい
渡部さんは、遺伝研にきて3年目。現在大学院の博士課程の5年である。論文の掲載も決まり、早速今の気持ちは?と尋ねると、「今回までの論文で、データを出し切りました。今は、とりかかっている研究をとにかくやるだけです」と落ち着いた様子で話しだした渡部さん。だが、「今は分子レベルのメカニズムの解明をしていますが、将来はもっと大きな個体レベルの生命現象をみつけてみたいです。」研究の目的を尋ねた瞬間、彼の様子は一変して、無邪気な子供のようになった。
研究のきっかけ/遺伝研への道のり
では、渡部さんは遺伝研に来るずっと前からこの研究に携わっていたのだろうか?聞いてみた所、実はそうではないという。渡部さんは、東京大学理学部(ちなみに卒論のテーマは味覚のシグナル伝達)を卒業した後、霞ヶ関の農林水産省に就職した。農林水産省に就職、ということは勿論研究者としてではなく、いわゆる「サラリーマン」としてである。だが、農林水産省で働き始めてからすぐに渡部さんは、「毎日、書類相手の仕事は自分には向かない。体をつかって、実験する仕事がしたい」と考え始める。故に、なんと半年で農林水産省をあっさりと退職。その後、動物やクローンに興味を持ち、京都大学の大学院に入学した。京都大学大学院に進学後、渡部さんは、今井裕教授のもと小分子RNAの研究に着手し、修士論文を書いた。そう、渡部さんはようやくここで、現在の研究テーマであるRNAと出会うのである。
ところがこの京都大学大学院修士課程修了後、渡部さんは京都大学の博士課程に進まず、総合大学院大学遺伝学専攻の博士課程を受験し、遺伝研にやってきた。ちなみに遺伝学専攻への進学のきっかけは、京都大学に講義に来た遺伝研・角谷教授の話を聞き遺伝研に興味を持った事、そして、エピジェネティクスや小分子RNA研究の第一人者である佐々木教授の下で研究をしたいと考えた事。
つまり、現在の研究テーマを本格的に研究し始めたのはこの遺伝研にやってきてからという事なのである。
研究漬けの毎日
そんな渡部さんに現在の研究生活について尋ねてみた。すると、「遺伝研では、何より研究費や研究施設が充実している。佐々木先生の顔は広く、サンプル、解析技術、共同研究など情報の入手には不自由はしない」満足げな表情で、このように返ってきた。
「遺伝研にいたからこそ、今の仕事をすることができたと思う」と、渡部さん。車も自転車も持っていない渡部さんにとって、普段行くのはコンビニとスーパーマーケットくらい。無駄な時間がないから研究に集中できる。毎日深夜まで、だいたい12時間以上は研究室にいるという。
この話だけだと、まさに「研究漬け」の日々。だが、当の渡部さんにとって今の状況はとても、充実していると言う。ただ、そんな研究漬けの渡部さんも、毎週日曜日だけはきちんと休んでいるとのこと。どんなに充実した研究生活でも熱心な研究者でも、やはりつかの間の休息は必要なのだろう。ちなみに休日に何をしているかは・・・割愛させていただこう。
日々のデータの蓄積が生んだ画期的な成果
今回の研究における画期的な点は、偽遺伝子がガラクタではなかったという新しい証明がなされたことである。さらには、内在性siRNAのメカニズムが新たにわかった事だろう。10年前では、siRNAの概念もなく想像もできなかった結果である。が、最初からこれらの結果を目的として行ってきたわけではなかった。
渡部さんは、遺伝研にきて、精子や卵子の遺伝的刷込みの機構に小分子RNAが関わっているのではないかと研究を始め、なんと10万以上の小分子RNAの大規模解析を行った。しかし、遺伝的刷込みとの因果関係はつかめず、データを見なおしたときに、これらのメカニズムが明らかになったという。「突然ひらめいたわけでもなく、日々のデータの蓄積の結果です。偽遺伝子の結果も偶然見つかっただけです。」淡々と話す渡部さん。しかし淡々とした口調とは裏腹に、彼の叩き出したデータは、恐らく世界中のRNA研究者を興奮の渦に巻き込む事になるに違いない。
渡部さんは、生殖細胞の小分子RNAの制御を次の課題としている。そして将来的には、これを生殖細胞の小分子RNA研究の成果を不妊などの原因解明につなげたいと話してくれた。新しい生命現象の発見を目指す渡部さんには、この生殖細胞の小分子RNAの制御という課題はうってつけの研究題材なのかもしれない。
最後に、渡部さんは、「来年の学位取得後は留学したい」と話してくれた。
総研大生として残りあと一年。
精一杯研究に力を注ぎ、そして来年の春にはまた新たな研究の場へと、旅立って行って欲しいものである。
そう、渡部さんの「研究者」人生は、まだ始まったばかりなのだ。