リレーエッセイ

片山勉
  • とりとめのないお話   ―科学者の仕事の気ままなappendix―

  • 片山   勉Tsutomu Katayama
  • 九州大学薬学研究院

  前号の「コーンバーグ先生追悼集」で、細胞内のoriCあたりのDnaA「総分子数」が、複製開始スイッチの決定的因子になるという説が過去最有力であったことを紹介した。この説はイニシエータータイトレイション(Initiator-titration)モデルと呼ばれる。この説の起源はかなり古いのであるが、現在も強く信じ込んでいるのはオランダのFlemming Hansen博士である。60歳前後になる分子遺伝学者であるが、6月半ばに参加したEMBOワークショプで話したときに、「私はこの説が正しいと信じている。ATP-DnaAの割合などの、いろんなファクターを数式に盛り込んで説を改善しているところだ」と熱く熱く語った。野花の写真撮影を趣味とする普段は物静かな紳士なのだが、この話になると豹変する。まさに生き甲斐になっているのだろう。「いろんなファクター」のなかには、名大の小川徹先生らにより見出された、多数のDnaA分子を結合できる染色体上の部位datAの役割もあるはずだ。私は「DiaAも忘れないでその説に入れてほしい。DnaAの局所濃度の制御に関わるかもしれない」と言ったところ、少し困った顔をして「それは難しいことだが、考えてみる」とじっと私の目を見ながら答えた。折しもこのワークショップでは、枯草菌では相当数のDnaA分子が複製フォークに局在するという発表もあった。まだまだ彼の知的格闘は続きそうであるが奮闘する気概は十分である。私もエネルギーを分けてもらったような気がした。

  このところDnaA関係の研究も、以前より多角的な研究が行われるようになり、競争感もより強くなってきた。多種にわたる微生物のゲノムおよびプロテオーム解析、細胞内局在性解析、構造生物学などの発展がその重要な原動力となっている。EMBOワークショプでは、そのような新たな展開の息吹がもっと日本の若手に直接伝わるといいなとも思った。ヨーロッパでは、バクテリア研究を引き継ぐ有能な若手がきちんと出てきており、勢いが衰えないように見える。昼食事に、ある若手の枯草菌研究者と話をしたら熱い希望を語った。枯草菌を材料とする研究者が比較的多いが、枯草菌の仲間Lactobacillusはヨーロッパ人の3食に欠かせないヨーグルトやチーズの発酵に使われるので、枯草菌も日本人より親近感のある材料なのかもしれない。だがそれだけでなく、基礎学問をじっくり構えて行おうという風土もあるからではないだろうか。スタンフォードに留学したときには、ポスドクであっても知的職業にある人は周りから大事にされるな、と感じたものである。大学事務員の対応がとても丁寧で感心した。彼らは教員やポスドク、大学院生の活動の意義をレスペクトしていると感じた。日本の大学事務員には最高学府で勤務しているという自覚を求めたいと思うこともある。また、長い歴史の中で基礎学問の発展がどのように人類の文明や精神に影響を与えたか、ある程度の教養をもつ欧米人は、同じ文化圏の出来事だけにより親近感をもって捉えているのかもしれない。日本はまだ発展途上にあるようだ。今後の変化を楽しみにしたい。

ジーンズ

  留学中と言えば、前回のニュースレターのなかで正井さんが、留学中の私がヒッピーのような容姿をしていたと書かれた。そのとおりであるのだが、もちろん、ヒッピーをしていた訳ではなく、ただ、がりがりに痩せて、ぼろぼろのジーンズをはいていただけである。本物のヒッピーはきっともっとおしゃれしているであろう。痩せていた1つの原因は、精神的な緊張感が続いていたこともあるだろうと思う。当時は小食で、普通の人並の量を食べられなかった。ぼろぼろのジーンズは、単に、大学の近所の店ではサイズが合うものを見つけられなかったからである。大人用は大きすぎた。子供用を探しては、と言われたこともあるが、それは小さすぎた。(子供の場合は、成長期の一時だけなので、大きめのものを着用していれば、すぐに適正サイズに体の方が合ってくるということなのかもしれない??私が中学生の頃はそんな感じだったが。)しかしながら、別に気にならなかったので、古くなっても着続けていた。ぼろい服を着ていても気楽に堂々としてられるのは、サイエンティストの特権の1つだ。会社勤めにはできやしない。さらに若ければ、サイエンスとぼろい服装はますます関係ない。若いというのは、やはり特権だ。

  若いと言えば、中学か高校のとき読んだ藤本義一の小説に「青春とは、くすぼりである」とあり印象に残った。くすぼり、とは不完全燃焼のことである。現実点と理想点をつなぐ線上には、きっと焦燥や不安感、障害物との同居がある。そのような湿り気にもめげず腐らず燃焼し続けなくてはならない。同じ頃、鴎外の「雁」や「山椒大夫」を読んでは、人生には運や運命があるのかと思うと少し恐ろしく感じた。研究者生活にはいまも同じようなものを感じさせる時がある。それよりずっと後だが、灰谷健次郎の「海の図」のなかでは、芸術家の個性とは何かということも考察されていた。芸術家は、見てくれなどは勿論、何もかも捨てなければならない。どんなに徹底的に捨てていっても、本物の個性だけは残るはず。そのように純化された本質に出会ったときだけいい仕事ができる。大学院時代以降、音楽や美術も必須栄養素のように感じるようになった。私にとっては、これもサイエンティストの仕事のおもしろさの1つと感じている。

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