色覚の多様性と色覚バリアフリーなプレゼンテーション
 
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■著者プロフィール:

岡部正隆 (第1色盲): 国立遺伝学研究所発生遺伝研究部門助手、 総合研究大学院大学生命科学研究科助手。

1993年東京慈恵会医科大学卒業、1996年同大学院修了、博士(医学)。科学技術振興事業団研究員 (CREST 代表岡野栄之) を 経て、1997年より現職。小学校の授業で初めて水彩画を書いたときに木の幹を緑色に塗って皆に笑われた。その直後に母親が 「いでん」と「しきもう」について教えてくれた。「しきもう」という言葉を出すたびに周りの大人たちはえらく騒いだので、何か 特別なものを授かったのだと喜んでいた。医学部に入ると組織学実習や病理学実習において染色した組織標本の顕微鏡観察を行な う。ヘマトキシリン・エオシン染色が 2色の色素を使っていることは知っていても、それが 2色には到底見えない。実習を担当していた先生が「赤いのが○○細胞」と色に頼った説明をしていたため、自分なりの細胞の鑑別法をあみ出すしかなかったが、そのおかげで純粋に形態だけで細胞を同定することができるようになり、他の方法で染色された標本でも、たとえそれが白黒の電顕写真であっても、細胞の鑑別に困ることはなかった。むしろ、そのときに形態学の面白さを知り、現在に至っているわけである。卒業してすぐにショウジョウバエの発生遺伝学の研究を始めたが、赤と緑で掲示する蛍光二重染色が当たり前のこの分野では、赤のレーザーポインターが見づらいことも相まって、学会のプレゼンテーションを理解するうえでも、自分で発表するうえでも苦労が多かった。流行りの共焦点レーザー顕微鏡を使いこなしていた伊藤啓氏に自分が色盲であることを伝えたときには、意外な答えが返ってきて驚いた。「僕と同じ」。2001年夏に行われた第5回日本ショウジョウバエ研究会で伊藤氏と共に「色盲のひとにもわかるバリアフリープレゼンテーション法」について話をした。偶然にも母校眼科学教室のメインテーマが色覚研究であったためにこの分野の第1人者である北原健二教授から多大の御助言をいただくことができた。まだ始めて1年も経たないが、科研費の特定領域の班会議や、Cold Spring Harbor Meeting などの医学生物学系の研究集会や学会だけでなく、博物館の展示関係の学会や印刷機メーカーなどを二人で手分けしてセミナーをして廻っている。色覚バリアフリーが浸透し、色のことで苦労しなくても安心して学会発表を聞ける日が来ることを夢見ているが、早くも今年の日本発生生物学会ではすべての会場で、色盲の人には見難い赤色のレーザーポインターの代わりに、すべての人に見やすい緑色のレーザーポインターが使用されていて感激した。運営の方々にこの場を借りてお礼を言いたい。

伊藤啓 (第1色盲): 東京大学分子細胞生物学研究所助教授、 岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所客員助教授。

1986年東京大学理学部物理学科卒業、1991 年同理学系大学院修了、理学博士。独マインツ大学客員研究員、ERATO 山元行動進化プロジェクト研究員、基礎生物学研究所助手を経て、2002年より現職。幼児のころは柴犬のぬいぐるみを「黄色い芝生のワンワン」と呼んで可愛がっていた。小学校の色覚検査で眼科の検診を受けるように言われたが、近所の眼科医では色盲なのに色弱と診断され、「最近では色弱を直すメガネも出てるはずですから」などといい加減なアドバイスを受けた。母親はそれまでに自分で調べていたのであろう。「そんなメガネないわよ。あの先生は何も知らないのよ。」と一言で受け流していた。固定観念や間違った情報に右往左往しなかった両親には感謝している。高校のころは美術部で油絵を描いていたが、沈む夕日を鮮やかな黄緑で下塗りして「シュールでいいねえ」と変に褒められたりした。だが時たま色名を間違える以外には、勉学や実生活に影響するようなことで具体的に困難を感じたことはない。色盲を理由に進路を変えさせたり制限したりする風潮に疑念を持つ教官が、20年前すでに東京大学には居られたようで、私が入学した1982年の入学健康診断では色盲の人を対象に特別なアンケートが行われていた。そのような風潮をぜひ排するよう回答したのを覚えている。大学では物理の道を進んだため、色盲が支障になることはまったくなかったが、その後、脳の情報処理原理への興味からショウジョウバエを使った神経研究に転身した。面白かったのは、色盲が支障になりえそうな要因が技術の進歩でどんどん消えていったことである。小学校のころはリトマス試験紙の色がよくわからなかったが、研究室で使う多色の pH 試験紙ではその問題はなかったし、pH メーターを使えば色覚はまったく必要がない。ショウジョウバエの形質転換系統の検出に初期に使われていた rosy 遺伝子マーカーは、赤眼とバラ色眼を見分ける必要があるため色盲の人には区別できずに困ったが、赤眼と白眼を見分ければよい white マーカーがまたたく間に普及し、問題は解決した。赤や緑の蛍光二重染色の見分けにくさも、デジタル CCD カメラや共焦点顕微鏡の普及で自分の好きなように表示色を置き換えられるようになって、問題ではなくなった。肉眼での同時 2色検鏡だけは識別が難しかったが、2色の蛍光強度比を瞬時に自在に調節できる最新の蛍光顕微鏡ならその問題もない。自然物に起因する支障がどんどん解消する中、現在残っている唯一最大の支障は、皮肉なことに人間が自由に色を設定できるはずの論文やプレゼンテーションに見られるわかりにくい色使いである。こればかりは技術の進歩でなく、個々人の意識と配慮によってしか解決できない。ご理解とご協力を切にお願いする次第である。



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