Hiroshi SHIMIZU, Ph.D.
    Assistant Professor


    Ph.D. degree at Tohoku University in 1985
    Postdoc. at University of California, Irvine in 1991-1993


    ヒドラ

    ヒドラは腔腸動物では最も後生的と考えられるヒドロ虫類に属しています。その構造は非常に単純で、
    袋状の体幹、その内部を占める胃体腔、口と肛門を兼ねる開口部、それを囲む触手からなっています。
    体を構成するのはそれぞれ一層からなる外胚葉上皮と内胚葉上皮です(その中間に細胞外マトリックス
    があります)。腔腸動物は現存する多細胞動物で神経系を持つものとしては最も原始的です(カイメン
    動物は系統樹ではより原始的ですが上皮細胞と神経細胞などの特徴は明確でありません)。かつて、ヒ
    ドロ虫類はその単純な構造故に最も古いと考えられていましたが、遺伝子の系統樹解析から逆の結果が
    得られました。複雑な構造の花虫類(イソギンチャク、サンゴなど)が最も古いと判定されたことから
    進化は「複雑」から「単純」へと起こったことになります。今や一般的ですが、進化=進歩=構造的複
    雑化、という図式はあてはまりません。ではヒドラの非常に単純な体制には進化的に何らかの整合性が
    あるのでしょうか?「明確にある」というのが私の考えです。


    進化的に最も古いポンピング運動

    ヒドラの胃体腔は絶えず空洞のまま存在すると考えられてきました。そのため腔腸(coelenteron=空洞の
    意)動物という名が付いたのです。しかし、我々の観察からこの概念が誤りであることがわかりました。
    胃体腔に墨汁を少量インジェクトすると胃体腔全体の造影剤のようなはたらきをします。すると、胃体腔
    は、ヒドラ個体が伸長した状態(デフォルト状態と思って結構です)では柄部(peduncle)を除いては閉じ
    ており胃体腔液は柄部に集中しました(図1a)。ヒドラは不定期で収縮、伸長を繰り返しますが収縮すると
    胃体腔全体が開いて胃体腔液が全体に行き渡るのが観察されました。伸長とともに液は再び柄部に逆流しま
    した。長時間の観察ではこの繰り返しがみられました。柄部組織は個体収縮の過程で体軸方向、円周方向の
    両方に収縮するのが観察できます(図1b)。柄部は上皮組織が消化組織部分と比べて極端に薄く、胃体腔液
    を蓄えることが可能な構造になっています(図1c)。この事実は柄部組織がポンピング運動を行っている事
    を示唆しています。この運動が柄部が能動的に行ったものか、個体全体の収縮によって受動的に引き起こさ
    れたのかは断定できませんが、後述するように、このポンピング運動を制御すると考えられる神経集団が柄
    部自身に分布することから、能動的運動である可能性が高いと考えられます。胃体腔液は栄養分に富むとの
    報告があり、実際、顕微鏡下でも栄養顆粒様の物体の移動が確認できます。この事実は、胃体腔液がヒドラ
    個体の収縮とともに胃体腔内に行き渡ることにより、栄養分の循環に寄与している事を示すと解釈できます。
    栄養分の循環をポンピング運動によって遂行するというのは心臓機能の特徴ですが、ヒドラは血液や血管系
    を持たないにもかかわらずこの運動を行っていることになります。実は、心臓との共通点はこの運動面だけ
    ではありません。この運動は神経細胞を完全に取り除いたヒドラ(上皮ヒドラ:神経を除去して生存可能な
    多細胞動物は現在のところヒドラだけです)では起こらないことから神経原性です(この点で筋原性のほ乳
    類の心臓とは異なります)。その神経が個体のどの部分に存在するかを調べた結果、触手と柄部に集中する
    ことがわかりました。その手法は単純です。触手を切除すると、個体は伸長した状態を保つことが多くなり、
    収縮の頻度も低下します。触手、柄部神経には従来から RFamide 陽性神経細胞が多く存在することが知られ
    ていました。RFamide別名 FMRFamideは元々軟体動物で心拍増強効果を持つペプチドとして単離されましたが、
    ヒドラでは心臓を持たないことからその生理機能は不明でした。そこで、従来同定された3種類のRFamide
    を合成し、ヒドラ個体のポンピング運動に対する効果を調べた結果、KPHLRGRFamide で処理すると収縮頻度が
    顕著に上昇することがわかりました。この結果は、軟体動物心臓のポンピング運動を活性化する神経ペプチド
    と類似した構造の神経ペプチドがヒドラ柄部が行うポンピング運動を活性化することを示しています。軟体
    動物は前口動物の中では最も進化した部類と考えられていますが、進化上両極にありながら共通した物質基盤
    に立つ運動を行っている点は注目に値すると考えられます。もう一つの共通点は遺伝子です。ヒドラ柄部の内
    胚葉ではnon-HOX タイプのホメオボックス遺伝子 CnNK-2を特異的に発現する事が知られています(図1d)。
    もう一つの共通点は遺伝子です。ヒドラ柄部の内胚葉ではnon-HOX タイプのホメオボックス遺伝子 CnNK-2
    が特異的に発現する事が知られています(図1d)。この遺伝子は、マウス、ハエなどで心臓中胚葉や咽頭で発
    現する遺伝子 Nkx-2.5 の相同遺伝子です。そして、心臓や咽頭の構造遺伝子がその下流にコードされている
    ことから心臓形成のスイッチング遺伝子とされていますが、ヒドラ柄部で発現が見られたことは注目に値します。
    つまり、心臓、咽頭、柄部とポンピング運動をする組織で共通に発現するのです。この事実は、Nkx-2.5の起源
    は心臓を持つ動物以前にさかのぼりポンピング運動を行う組織を決定する遺伝子であった可能性を示唆して
    います。Nkx-2.5は海綿動物でも見つかっていますが、単細胞動物には存在しません。どのような経緯でこの
    遺伝子が生まれたか、どのような経緯でポンピング運動が始まったのか、進化学的に興味深い問題です。


    図1ヒドラポンピング運動




    もう一つ興味深いのは、このような血液、血管系を持たないポンピング機構がどのような役割を持っていたか
    ですが、我々は、ヒドラではポンピングの役割は、栄養物や老廃物の運搬が主である可能性を考えています。
    腔腸動物の起源は最近の遺伝子解析から10億年以上前までさかのぼるとの主張がなされています。このころ
    の地球大気中の酸素濃度は現在よりもはるかに低かったと考えられています。ということは、酸素を体中に
    高濃度で輸送する必要性も効用も少なかったと考えられます。私は、ポンピング運動系(cardiac system)
    は多細胞体制初期から有り栄養物、老廃物の運搬に貢献したが、大気中の酸素濃度上昇に応じて酸素を運搬
    する必要性が増大し、血管系(vascular system)が現れ、結果として cardiovascular system という現在の循
    環器系が形成されたのだと考えます。このように、原始的な多細胞動物は、彼らが発達した当時の地球生態系
    に適応した状態で存在したのであり、機能的に劣っているという見方は必ずしも正しくないと考えます。
    我々が5億年前にタイムスリップしたとしても、酸欠で生存は困難かもしれません。進化はそれを可能にする
    地球環境の変動があって初めて可能になったと考えられます。

    進化的に最も古い消化運動、腸管神経系

    従来ヒドラが食物を消化する際は、消化酵素や消化産物の拡散が支配し、ほ乳類のような消化運動とは無縁
    だと考えられてきました。外見上は確かにそう見えましたが、ビデオで長時間録画を行って調べた結果、ゆっ
    くりなぜん動運動様の動きが観察できました。それらは我々ほ乳類の消化管が示す各種運動と非常な類似性
    が認められました。それらは、食道反射様運動、ぜん動反射様運動、排便反射様運動です(図2)。食道反射
    様運動(図2a)は給餌直後、排便反射様運動(図2c)は排泄時、ぜん動反射様運動(図2b)はその中間段階
    でそれぞれ認められるなど、時間帯も同じです。この観察結果は、我々ほ乳類の消化管が示す消化運動の基本が
    多細胞体制初期には既に完成されていた可能性を示すと考えられます。実は類似点は運動面だけでなく構造面
    でも認められました。第一は、筋繊維の配向パターンで外側に縦走筋、内側に輪走筋が分布しますが、これは
    ほ乳類と同様です。第二は、神経系の形態で、ヒドラではネット状の散在神経が分布する(図3a)のに対し、
    ほ乳類ではやはりネット状の腸管神経叢が分布します(図3b)。但し、注意点ですが神経系の形成機構は全く
    異なります。腸管神経系では発生段階で消化管上部から下部へと神経幹細胞が移動して形成するのに対し、
    ヒドラ散在神経系は、体幹部で安定に維持されている幹細胞から不断に分化、補充して形成されます。その
    理由は、ヒドラの神経細胞は寿命が3週間から一ヶ月くらいと短いためです。このように外見上、構造上の
    類似点はありますが、形成機構が異なることから、並行進化に該当すると考えられます。従来、神経系の
    進化は、ヒドラに見られるような「構造に集中が見られず」「刺激伝達以外に明確な機能的を持たない」
    散在神経系を出発点として起こったと考えられてきましたが、散在神経系(消化組織で最も顕著であります)
    をほ乳類の腸管神経系と比較すると、実は構造的には非常に似ていることに気づくと思います。腸管神経
    系は集中していては機能しないのです。


    図2ヒドラ消化運動






    図3ヒドラ散在神経系とほ乳類の腸管神経叢




    ヒドラ版の腸管神経系については未解明な問題が山積しています。ざっと挙げて以下のようになりますが、
    どれも簡単にはいきません。
    (1)ヒドラの神経ネットは単一の細胞を構成要素として成り立っている。一方、腸管神経叢は、
    数十個の細胞が神経節という集団を形成し、それを単位として成り立っている。ヒドラはなぜ、
    たった一個の細胞で複雑な消化運動の制御ができるのだろうか。
    (2)運動をつかさどる命令物質がまだ同定できていない。ヒトでは、セロトニン、アセチルコリン、
    モチリンなど数多く同定されている。
    (3)3種類の運動は、ヒドラ体幹部組織で連続的に起こる。これに対し、ほ乳類では食道反射は
    食道で、ぜん動反射は胃や小腸などで、排便反射は直腸でというように、起こる場所が限定されて
    いる。このような場合は単にその神経系が活性化された結果として理解できるが、ヒドラのように
    一人三役をこなす場合、しかも単一の細胞からなるネットでそれを遂行する場合、どのような制御
    機構で行っているのか非常に興味深い。3種類の神経伝達物質が同一のネットに作用することで3
    種類の運動を起こすのか、それぞれの運動をつかさどる別々のネット構造に分かれていて刺激に応
    じて活性化するのか明らかでない。
    消化機能は前述のように、これまでは拡散を基本とした原始的な機構から、ぜん動を基本とした進化した
    機構へと発達してきたと漠然と考えられてきたが、上記の結果はすでに腔腸動物の段階でそのような「進化
    した機構」は獲得されていた事を示しています。生物進化がどのようにして起こったか、これまでのように、
    原始的->高等、単純->複雑、進化=進歩、という単純な図式ではない本当の evolution の過程を明らかに
    するのが研究の目標です。

    Department of Developmental Genetics
    National Institute of Genetics
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