特別寄稿
なんとなくウィーンでテトラヒメナ
- 望月 一史Kazufumi Mochizuki
- Group Leader Institute of Molecular Biotechnology Austria
よく人から「なぜウィーンで研究を?」「なぜテトラヒメナを使って研究を?」と聞かれます。人生行き当たりばったりを標榜する私ですので、最も適当な答えは「何となく」もしくは「行きがかり上」となるのですが、せっかく頂いたこの場を借りて、それでも本当のところなぜなのか、自分に問いただしてみようと思います。
ボス(Martin Gorovsky, Univ. Rochester)の「いたければ(彼のグラントが続く間)当分いても構わない。」という寛大な言葉に甘えて4年以上もアメリカで安逸に過ごしたところで、ようやく職探しを始めました。ポスドクの生活は居心地がよく、ずっとポスドクで過ごしたいと思ったぐらいですが、もちろんそれは不可能ですし、なんとかまとまった仕事ができたところだったので、だらだらしていると自分の売り頃を逃すのではないかという危惧と、ラボ内で私一人だけ、元来のボスの研究テーマとは少し違う事をしていたため、やりたいと思う事がこなせなくなってきた事が、独立を目指す動機でした。
アメリカの研究機関にはあまり熱心に応募しませんでした。アメリカの研究費事情は当時(2005年)悪化の一途をたどり、たとえポストを得たとしても、テトラヒメナの研究に対して研究費が確保できるのだろうかという不安がありました(そういうことは職を得てから考えろとボスにはいわれましたが)。実際、ラボはセットアップしたけれども研究費が思うように確保できないという新米PIにも会いました。また、個々のアメリカ人は概して嫌いではありませんが、アメリカという国はあまり好きにはなれませんでした。どこが嫌いなのかはうまく言葉にできませんが、強いていえば、マイノリティーを尊重しているようでいながら、アメリカ式な行動、思考をしない人間を結局は受け入れないところなのかも知れません(あくまで私個人の意見です)。
日本に帰りたいとも思いましたが、応募したほとんどは、書類選考で落とされました。まさに感覚として、箸にも棒にも引っかからなかった、という感じです。今なら振り返ると分かりますが、日本における就職活動は、一時帰国の際、できるだけ多くセミナー巡業をこなして顔を売っておく事も重要で、その努力が足りなかったと思います(と思いたいです)。
そんなときサイエンスだったかネイチャーだったかの後ろの方を念入りに見ていると(当時、論文よりも求人広告の部分を最も熱心に見ていました)、ウィーンに新しくできる研究所でグループリーダーを募集しているという記事を見つけました。大学ではない独立の研究機関なので講義をする必要がないこと、新しい研究所に最初から参加できるのであれば、周囲のひとやシステムになじみやすいのではないかと考えたこと、ヨーロッパはアメリカや日本に比べて、より基礎研究を大事にしてくれるのではないかという(あまり根拠のない)印象を持っていたことで、とにかく応募してみることにしました。
インタビューを経て、もう二度と来ないかもしれないのでしっかりウィーン観光もし、アメリカに戻って1ヶ月ぐらいしたところで思いがけずポジションのオファーがきました。研究所の環境は申し分なく、即日オファーを受ける事にしました(後で知りましたが、普通はあれこれと交渉をした末に受けるもののようです)。なぜウィーンなのか?それは結局のところ、そこに良い職があったから、以外の理由は特になかった、という事になりますが、五月にインタビューをしに訪ねたウィーンは美しく、その日本やアメリカの街にはない趣に惹かれたという部分も大きかったと思います。
住んでみて分かったことですが、ウィーンはとても住みやすいところです
まず第一に、ウィーンの人は、外国人の存在に対して、比較的寛容であると感じます。日本人が日本人として生きていても、それを白い目で見る人はあまりいないように思います。これは一つには、歴史的にウィーンが中央ヨーロッパ全域を巻き込む大帝国の首都であり、数百年前から既に人種的にも文化的にも様々な国のものが混じり合っている事によるのかもしれません。話は少しそれますが、オーストリアには“これがオーストリア料理だ"といえるものがほとんどありません。幾つか特徴的なものはありますが、それらは実はハンガリーやイタリアや南ドイツ由来であったりします。いろいろな人種が混じっているのは、アメリカも同じはずなのですが、オーストリア人のアイデンティティーが歴史や血縁によって(ある程度)自動的に保証されているのに対し、アメリカ人のアイデンティティーがアメリカ人自身の努力によって形成され守られている、ある種人工的なものである為に、その努力に与しない外国人の存在を快く思わないのではないのかと(私個人は)考えます。
第二に、治安がよく安全です。パリのような華やかさや、ロンドンのような喧噪はなく、全体的にくすんだ静かな町ですが、市内の明るい道であれば、真夜中に一人で歩いていても危険を感じる事はありません。その意味では、日本並みか、むしろ最近の日本よりも安全といえるかもしれません。ただし、移民の増加により、治安は少しずつ悪化しているといわれています。
オーストリアのサイエンス?そんなの聞いたことないという方、それはある意味当然です。なぜなら、オーストリアは北海道ほどの広さの国土(8.4万平方キロ)に大阪府ほどの人口(830万人、うち170万人がウィーンに集中)が住む小さな国だからです。オーストリア発のサイエンスがイギリス(6030万人)、フランス(6450万人)、ドイツ(8240万人)、ましてや日本(1億2730万人)ほど目立たなくても不思議ではありません。一方で、さらに小さな隣国のスイス(4.1万平方キロ、745万人)のサイエンスのレベルを考えると、オーストリアがまだまだであることは確かです。しかし、東西冷戦の終了でオーストリアが西ヨーロッパの辺境からヨーロッパの中心の位置に戻ったことで、ヨーロッパの各地から優れた人材が流入しやすくなり、また、経済の成長とともにサイエンスに投入されるお金も急増しています(最も、今回の世界同時不況は、オーストリアの研究費事情にも影響を及ぼし始めています)。さらに、研究資金の大きな部分がEU全体を単位として取り扱われるようになり、オーストリアのサイエンスは否応なく国際的な競争にさらされています。サイエンスにおける(アメリカ式の)競争力を求める事が、基礎科学にとって本当に良い事かどうかは疑問ですが、その是非はともかく、オーストリア全体のサイエンスの競争力は上昇していると思います。
さて、私の研究テーマは、テトラヒメナという原生動物の染色体削減のメカニズムの解明です。テトラヒメナを含む繊毛虫と呼ばれる原生動物の仲間は、二つの異なる核を持つ事により、単細胞生物にしてGermとSomaの分離を獲得している生き物です。元々私は、このGermとSomaの核の分化、特にGermの核がどのようにしてその性質を保つ事ができるのかに興味を持って、ポスドクとしての研究を始めました。しかしGermの分化に関わるであろうと予測してノックアウトした最初の遺伝子が、実はSomaの核の分化の際に起きる染色体削減に必要である事が分かり、それがsmall RNAを介したヘテロクロマチン形成によって制御されている事が分かるに至って、気づけば8年も染色体削減の研究にはまり込んでいます。
図1:ラボのメンバー
右から3人目が筆者。最近さらに2人メンバー増えました。2年半前に入った、最初の2人のPhDコースの学生を卒業させるのが、今年最大の課題です。
図2:テトラヒメナ
大核(Soma)と小核(Germ-line)の二つの核(赤色)が一つの細胞内にある
テトラヒメナを用いた研究の多くは、応用を度外視した基礎研究で、すぐに人の病気をなおしたり、産業に結びついたりするものではありません。また、研究者人口が少なく、決して使いやすいモデル生物ではありません。もし私がもう少し思慮深い性格であったなら、テトラヒメナを使った研究はポスドクのテーマとして選択していなかったかもしれません。しかし、これは使ってみて分かった事ですが、テトラヒメナを使った研究の最も良いところは、生き物そのものがとてつもなくユニークであるため、テトラヒメナが我々を予期しない領域に勝手に連れて行ってくれるところです。なぜテトラヒメナなのか?それは、この変わった生き物の可能性に研究人生を賭けてみるだけの価値と可能性を見つけたからなのだと思います。
5年先はどこにいるのか、どんな意外な実験結果に振り回されるのか、予想のつかない研究人生を(いつまで続くかわかりませんが)楽しみたいと思います。