寄稿
“silent”?な留学
- 飯田 哲史Tetsushi Iida
- Harvard Medical School、Danesh Moazed教授研究室現:国立遺伝学研究所 細胞遺伝研究部門 助教) ポスドク研究員
2007年5月研究室に来てまだ1ヶ月、“He is a silent guy.”留学先のラボメンバーの会話で私が最初に耳にした私に対する評価でした。私は「おとなしいやつ…」と思われているらしい。でも何故彼らは“quiet”ではなく“silent”を使うのだろう?少し引っ掛かるものを感じつつも、英語力に全く自信の持てない私は深く意味も考えずにボストンでの研究生活を始めていました・・・。
先日、前職の上司である理化学研究所発生・再生科学総合研究センター 中山潤一チームリーダーに「染色体サイクル ニュースレター」に「ボストン留学記」あるいは「研究成果」を寄稿しませんかというお誘いをいただきましたので、お言葉に甘えて(迷った末に)、Harvard Medical School、Danesh Moazed教授研究室における1年半弱の研究生活の雑感を留学記として紹介させていただこうと思います。わずか1年半弱の留学ですので、本留学記は「ニュースレター」をお読みになる諸先生方の留学武勇伝や成果報告には足元にも及ばないことはあらかじめ御了承ください。

写真1:Danesh Moazed教授

写真2:HMSの代表的な建物群
留学先
留学先Danesh Moazed(ダネッシュ・モアゼド:写真1)研究室は、アメリカ合衆国北東部マサチューセッツ州ボストン市にあるHarvard Medical School(以下HMS:写真2)Department of Cell Biologyに属する研究室です。ボストン周辺は、言わずとしれたアメリカの「学園都市」のようなところで、Harvard University、MITその他にも数多くの大学や研究機関が集まった地域であるとともに、アメリカ国内でも最も歴史のある地域の一つです。私にとってボストンは、野球の松坂投手と岡島投手が所属するMLBのBoston RedSox、バスケットボールNBAのBoston Celticsの本拠地であり、アメリカンスポーツが地元によく浸透しているのを感じることができた都市です。肝心のHMSは、collegeの集合体であるHarvard Universityの医学系大学院ですが、大きな病院を5つもパートナーとして有する巨大な組織です。巨大な病院それぞれがたくさんの研究室を抱えているのに加えて、HMS自身も複数のDepartmentを抱えており、HMSに関連する研究室の数は数え切れないくらいあるといえます。この無数にある研究室の一つであるMoazed ラボでは、学生6〜7人とポスドク6〜7人が出芽酵母と分裂酵母を用いて転写などが不活なサイレントクロマチン(Silent chromatin)あるいはヘテロクロマチン(Heterochromatin)と呼ばれるクロマチン構造の形成と制御機構の解明に焦点を当てて研究を行っています。ラボメンバーのうち出生国がアメリカ合衆国なのは約1/4だけで(アメリカ国籍あるいはグリーンカードを持っているのは3/4)、メンバーの大半が世界中(イラン、カナダ、スイス、スペイン、ギリシャ、ドイツ、エジプト、中国、韓国、日本など)から来ているという非常に国際的なラボです。私は、当初他のメンバーの英語の訛りがほとんどないため皆がアメリカ生まれだと思っていたのですが、後でこのことを知って自分の英語力を恥じたものです。
“立ち話”という名の“Discussion”
渡米して初めて顔を出しにラボを訪れたとき、ラボの前の廊下でMoazed教授(以下Danesh)が3、4人のラボメンバーとおぼしき人たちと立ち話をしていました。廊下を歩いてきた私を見つけてDaneshは「Hey Tessi(筆者のあだ名)やっと来たな!ところで、このデータどう思う?」といきなり投稿予定の論文のFigureを見せたのでした。そのまま自己紹介もそこそこ(無し)に皆でディスカッションに突入してしまいました。私は、未発表のデータをいきなり見せられたのと、いきなり英語で畳み掛けられるように意見を求められたので完全にハイな状態になってしまっていたため詳細は思い出せないのですが、いま思い返してみると初日でDaneshラボで研究する楽しさを体験していたような気がします。この廊下での“立ち話”は、週一回あるラボミーティングよりも議論が活発で、仲間の面白い最新のデータを研究のストーリーが出来る前に見聞きできるので、非常に中立的な意見をもらえる有意義なDiscussion場なのでした。実際に自分のDataが出始めたり論文を書いたりしたときには、この“立ち話”が考えをまとめるのを助けてくれました。
ラボに加わって初めの3ヶ月は、なんとか仕事のきっかけを掴むために黙々と朝から晩まで手を動かしていたので、進んで“立ち話”に加わることはなかったのですが、そこで耳にしたのが冒頭で書いた“… a silent guy.”でした。仕事も軌道に乗り、立ち話に積極的に加わるようになってからその意味を聞いたところ、“a silent guy”は「話の内容が解っているくせに話に入ってこないし、黙って仕事して何を考えているのか解らないやつ。」というあまりよろしくない意味だったそうです。
Silentな状態の内側
少し簡単に、こちらで行った分裂酵母(S. pombe)を用いたヘテロクロマチンの研究を紹介させていただこうと思います。分裂酵母のヘテロクロマチン構造では、ヒトなどの多細胞生物のヘテロクロマチンと同様に、HP1と呼ばれるヘテロクロマチンタンパク質(Sp Swi6, Chp2)がヒストンメチル化酵素(Sp Clr4)複合体により導入されたメチル化ヒストンH3リジン9(以下H3K9me)を介してクロマチンに結合することにより転写や組み換えが不活な(silentな)状態を保っていると考えられています。2002年、分裂酵母のセントロメア近傍のヘテロクロマチンではH3K9meの導入がRNA干渉(以下RNAi)に関連した因子に依存していること、RNAi変異体ではセントロメア近傍のリピート配列からは23nt程度のsmall RNA (siRNA)が作られ、さらにRNAi変異体ではリピート領域の両方向の転写産物が蓄積することが発見されました。この発見を皮切りに、様々なRNAi-ヘテロクロマチン関連のタンパク質複合体が単離され、二本鎖RNAからsiRNAを切り出すDicer (Dcr1)、二本鎖siRNAを何らかの形で受け渡たすARC (Ago1, Arb1/2)、実際に一本鎖siRNAを介してクロマチン上で標的RNAを認識する中心的な役割をもつRITS (Ago1, Tas3, Chp1)、RITSと相互作用し標的RNAから二本鎖RNAを合成するRDRC (Rdp1, Hrr1, Cid12)、H3K9meを導入するCLRC (Clr4, Rik1, Cul4)などすべての複合体が相互依存的にsiRNAの生成とH3K9meの誘導を行い、その結果生じたH3K9meにHP1であるSwi6が結合してヘテロクロマチンが維持されていると考えられていました(図)。このモデルが正しいとすれば、ヘアピンRNAを介して外からsiRNAの供給をしてやれば、RDRCの機能を迂回してH3K9meの誘導と標的遺伝子のsilencingが起こる可能性があります。そこで、染色体上のレポーター遺伝子の一部に対するsiRNAをヘアピンRNAから細胞内で発現させ、レポーター遺伝子領域でsilencingが起こるかを観察しましたが、H3K9meの誘導はおろかsilencingも観察出来ませんでした。このとき、siRNAはRITSに効率よく取り込まれているので、siRNAとそれを含むRITSだけではde novoのヘテロクロマチン形成の誘導は起こらないことを示しています。この事実を踏まえて、ヘアピンRNAの発現系と、レポーター遺伝子の染色体上の位置、HP1タンパク質Swi6の過剰発現などの様々な条件を検討した結果、(1)レポーター遺伝子に外部からアンチセンスの転写が流れ込んできている場合(両方向の転写が起こっている場合)のみsiRNAによるde novoのヘテロクロマチン形成が起こること、(2)その際にHP1タンパク質であるSwi6が必要なことが明らかとなりました。また、(3)ヘアピンRNAによるsiRNAの生成にはRDRC(RITSやCLRCも)必須ではないにもかかわらず、(4)silencingにはRDRCの二本鎖RNA合成活性が必要であること、(5)予想とは違ってSwi6がクロマチンを介した機能とは別にsiRNAの生成に関与していることも明らかになりました(図)。これらの結果は、一般に知られているRNAiによる転写後のsielncingではsiRNAがあればRNAの分解が誘導されsilencingが起きるのに対し、ヘテロクロマチン形成においてはクロマチン上でのRNAを介した何らかの過程(二本鎖RNAの形成やクロマチン構造の変化など)がsiRNAを介した機構を呼び込んでヘテロクロマチン形成を行っていることを示唆していると考えられます。
本研究(文献1)やDaneshラボから去年発表された論文(文献2)をとおして、私はヘテロクロマチンで転写とRNAの分解が予想外に活発に起きている印象を持つようになりました。案外、ヘテロクロマチンは「RNAを転写したその場で積極的に壊すための工場」なのかもしれません。一見何も起きていなさそうなSilentな状態の奥に熱いものを感じる、そんな素敵な思いで研究を進められた留学でした。
先日、日本への帰国が決まり、私がラボメンバーと今後のことについて“立ち話”でしていたとき、「Tessiはしゃべるようになったよね。」という話になりました。私が「でもまだQuiet guyでしょ?」と聞くと「No, No, No!」と言う皆の返事がありました。彼らも、表向きSilentな“ヤツ”の本当の姿を見たのかも…?

図.RNAi機構によるヘテロクロマチン形成のモデル(文献1より改変):赤○数字は文中の数字(1)〜(5)に対応
〈文献〉
1: Iida T, Nakayama J, Moazed D. (2008) Mol Cell. 31(2):178-89.*
2: Buehler M, Haas W, Gygi SP, Moazed D. (2007) Cell. 129(4):707-21
*本研究では、中山潤一チームリーダーに共同研究者というだけでなく様々な場面で大変お世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
[著者紹介]
飯田 哲史(いいだ てつし)
大学院博士課程(国立遺伝研・荒木弘之研究室)より、ただ独りsilentクロマチンの研究にとりつかれる。博士取得後、理研CDB(中山潤一チームリーダー研究室)研究員を経て、現在HMS(Danesh Moazed研究室)ポスドク。2008年10月帰国予定。