生殖幹細胞とニッチの形成機構の解明
 

研究の背景:

 高等動物の多くの組織において、幹細胞は組織の発生や新陳代謝、損傷部分の修復に中心的な役割を果たしています。分化を終了した細胞群とは異なり、幹細胞(組織幹細胞)は未分化状態を保ったまま、自己複製的な分裂を繰り返し、分化した細胞を継続的に供給する事ができます。このような自己複製的な分裂による未分化状態の維持と分化のバランスは、幹細胞に隣接するニッチ細胞が幹細胞の維持に必要な因子を分泌してその周りに特殊な微小環境(ニッチ)を作ることで制御されています。幹細胞はこれら因子の存在するニッチ内に留まれば幹細胞として維持されますが、ニッチから離れると分化過程に入ることが明らかにされています。しかしながら、幹細胞やニッチが発生過程でどのように形成されるのかについてはほとんど解析が進んでおらず、今後の重要な課題の一つになっています。

現在までの成果:

 私たちは、生殖幹細胞とニッチの形成過程をショウジョウバエの卵巣を用いて研究しています。『生殖幹細胞』は卵や精子等の配偶子を生み出すもととなる幹細胞です。個体が配偶子を大量に継続して産生し、種の繁栄のチャンスを増大させるために重要な幹細胞です。また、『ショウジョウバエ卵巣』はこの生殖幹細胞とニッチ細胞を形態やマーカー分子の発現によって簡単に細胞レベルで同定でき、卵巣内でその挙動を追うこともできる優れた研究材料です。

 ショウジョウバエの生殖幹細胞は、胚卵巣に取り込まれた始原生殖細胞の一部から形成されることは明らかにされていましたが、どのような始原生殖細胞が幹細胞として選ばれるのかは長い間不明でした。そこで、私たちは胚発生期に単一の始原生殖細胞をGFP(Green Fluorescent Protein)で標識して発生運命を追跡することにより(細胞系譜解析)、生殖幹細胞になる始原生殖細胞を特定しました。その結果、胚卵巣中に既に『生殖幹細胞になる細胞 』と『ならない細胞』があり、それらはそれぞれは胚卵巣の前半部と後半部に分かれて位置することが分かりました。また、『幹細胞にならない細胞』は死ぬのではなく、幹細胞の状態をスキップして直接卵細胞に分化することも明らかになりました。

 以上の結果は、胚卵巣中の始原生殖細胞は卵細胞に分化する能力を持ち、前半部に位置する始原生殖細胞が生殖幹細胞として選ばれ連続的な配偶子産生に寄与することを示しています。さらに重要なことは、生殖幹細胞になる始原生殖細胞の選択が、ニッチ細胞が出現する時期よりもずっと早い胚発生期の卵巣形成直後から始まっているということです。おそらく、卵巣前半部には始原生殖細胞を生殖幹細胞に分化させるpositional cueがあると考えられます。

 このpositional cueの実体を解明するため、現在私たちは、卵巣前半部に偏って発現するような遺伝子を始原生殖細胞と周りにある体細胞の両面において探索し、幾つかの候補分子を得て、それらの機能解析を行っています。

Asaoka M and Lin H. Germline stem cells in the Drosophila ovary descend from pole cells in the anterior region of the embryonic gonad. Development, 131(20), 5079-5089, 2004. abstract 日本語

ショウジョウバエにおける生殖幹細胞ニッチとその形成機構 細胞工学 27(7), 653-658, 2008.

ショウジョウバエ配偶子幹細胞とニッチ 細胞工学 29(7), 638-644, 2010.

図2 始原生殖細胞の発生運命

A, B) GFPでマークされた始原生殖細胞を前半部(A)または後半部(B)に持つ胚の生殖巣。右側が前方。A)のような生殖巣をもつ個体からできた成虫卵巣(C, E)では、GFP-positiveな生殖幹細胞が見られる(E, arrows)。B)のような生殖巣からできた卵巣(D, F)では、GFP-positiveな生殖幹細胞がない(F, arrow)。GFP signalは直接分化した1個の16細胞シスト(1個の卵細胞と15個の哺育細胞のからなる複合体)のみで見られた。

現在の研究内容:

 ・生殖幹細胞の形成に必要な新規膜タンパク質の解析

 ・始原生殖細胞から卵細胞への分化抑制機構

 ・始原生殖細胞間での遺伝子発現の差とその生物学的意味

 ・ニッチ細胞の形成の場と数を制御する分子機構

生殖幹細胞研究を行っているメンバー:

 浅岡美穂(助教)、北爪(山本)美和子(PD)、松岡信弥(D5)、畑中宏美(研究補助員)